細菌戦犯罪をめぐる人類史上初の公開裁判「ハバロフスク裁判」を読み解く

CGTN

1949年12月25日から30日、旧ソ連の極東都市ハバロフスク市で、細菌戦犯罪を対象とした人類史上初の公開裁判が行われました。被告は旧日本軍・731部隊および100部隊に所属していた総司令官から上等兵、衛生員までの12人です。

戦後80年となる2025年、このハバロフスク裁判に関連する歴史文書の一部が12月13日、中国語に翻訳された形で、原文とともに中国で初めて公開されました。

ハバロフスク裁判の意義と歴史的位置付けについて、中国社会科学院ロシア・東欧・中央アジア研究所の趙玉明副研究員に独占インタビューを行いました。

中国社会科学院ロシア・東欧・中央アジア研究所 趙玉明副研究員

東京裁判の空白を埋めた裁判

――ハバロフスク裁判の概要を紹介してください

1949年12月25日から30日、ソ連はハバロフスク市で、ソ連軍の捕虜となっていた12人に対する軍事裁判を実施しました。被告は旧日本軍731部隊や100部隊に所属し、細菌兵器や細菌戦に関連する研究と実験に従事していました。

事前の綿密な捜査と詳細な予備尋問、公正かつ公開の審理を経て、12人はいずれも、人道に対する罪、戦争犯罪、平和に対する罪を犯したとして有罪判決が下されました。

公開されたハバロフスク裁判の関連資料

関東軍731部隊と100部隊は傀儡国家である「偽満州国」に設立された、日本天皇の軍令に基づく正規の部隊です。名目上は関東軍兵士や軍馬の伝染病予防が目的ですが、実際には細菌兵器の研究・開発、生産および細菌戦の理論研究を秘密裏に行っていました。

ハバロフスク裁判での供述は、東京裁判では十分に扱われなかった日本軍の細菌戦犯罪をめぐる空白を埋めるものであり、731部隊およびその前身となった組織が1931年から1945年にかけて、中国の20の省で36回に及ぶ大規模な生物戦を実施し、ペスト、コレラ、チフスなどの病原菌を用いて民間人や兵士を殺害した事実を裏付けました。

公開されたハバロフスク裁判の関連資料

――ハバロフスク裁判関連文書は、これまでどのように公開されてきましたか?

ソ連はハバロフスク裁判を通じて、日本の生物戦が実験室での研究から戦場での使用に至るまでの「体系的な構造」を備えていたことを明らかにしました。

裁判後の1950年、ソ連は多言語で『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』を出版し、日本の細菌戦の犯罪を国際社会に公表しました。

さらに2021年9月9日、ロシア政府はロシア連邦保安庁(FSB)中央公文書館などが所蔵するハバロフスク裁判の関連資料を特設ウェブサイトで公開しました。同年、ロシア連邦保安庁中央公文書館を中心として、ハバロフスク裁判に関する新たな資料集も刊行されました。

――公開された文書の特徴や信ぴょう性は?

これらの文書は、関東軍総司令官・山田乙三(陸軍大将)、関東軍獣医部長・高橋隆篤、関東軍生産部部長・川島清、関東軍軍医部長・梶塚隆二らをはじめ、関東軍100部隊および731部隊関係者を幅広く網羅し、極めて重要な証拠情報を数多く含んでいます。内容は信ぴょう性が高く、記述の筋道も明確です。また、関連する中国の地方公文書館、日本および米国が所蔵する関連資料と相互に照合・検証することが可能であり、史料の相互検証を通じて、ハバロフスク裁判の歴史的過程をより明確にするとともに、日本軍が細菌戦をどのように計画し、実行したのか、その反人道的犯罪の実態を解明することが可能になります。

731部隊旧ボイラー棟(黒龍江省ハルビン・2025年1月)

裁判で掘り起こされた具体的な罪状

――ハバロフスク裁判で明らかにされた日本軍の罪状は?

1946年から1948年にかけて、ソ連内務省は関東軍総司令官・山田乙三、関東軍生産部長・川島清を含む、731部隊および100部隊関連の戦争捕虜12人に対する尋問を行い、両部隊の設立経緯、組織構成、部門設定、主要任務などに関する大量の重要資料を得ました。そこでは、日本軍による人体実験、中国で実施された大規模な細菌戦、100部隊による中国・ソ連および中国・モンゴル国境で実施された細菌戦などが明らかにされました。

尋問記録には、731部隊による人体実験の具体的実態が記されています。人体実験は主に第二部(実験部)と第四部(生産部)が担当し、第二部は病原菌を保有するノミやネズミの繁殖、第四部は病原菌の培養と生産を行っていました。部隊は、内部で「石井システム」と呼ばれた大型の細菌培養設備を備え、月産でペスト菌160キロ、コレラ菌320キロ、炭疽菌320〜540キロ、パラチフス菌210〜270キロのいずれかを生産する能力があったとされます。

戦犯らは、人体実験の実施状況についても詳細な供述を行いました。川島清によれば、731部隊は病原菌が大規模な細菌戦に必要な感染力や病原性を有するかを検証するため、毎年500〜600人が人体実験に使われていました。

人体実験の対象には、「偽満州国」の中国人および朝鮮人の民間人のほか、関東軍の軍事行動で捕虜となった中朝ゲリラ兵士、さらにソ連情報機関の工作員などが含まれていました。

731部隊全景

冷戦とハバロフスク裁判

――1949年末、ソ連が単独でハバロフスク裁判を行うことになった経緯は?

ソ連は日本に宣戦布告後、中国東北部に侵攻し、50万人以上の日本軍捕虜とともに、大量の文書資料をソ連国内に移送。部隊名簿の照合と識別によって、捕虜の中から川島清、柄沢十三夫など元731部隊関係者が特定されました。

1946年9月12日から19日にかけて、ソ連側の調査員はハバロフスク捕虜収容所で、川島清と柄沢十三夫を尋問し、細菌戦に関する初歩的な情報を聞き出しました。川島清は、731部隊の組織構造、主要メンバー、業務内容、活動範囲、細菌研究、細菌戦、細菌兵器、ワクチン研究、血清製造などの重要な内容について供述しました。柄沢十三夫は、731部隊が瀋陽の連合軍捕虜収容所で米軍捕虜を対象に行った人体実験や、浙江省寧波、衢県、玉山などで行った細菌戦の実験などについて供述しました。

侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の陳列

これらの情報は速やかに中央に報告され、ソ連政府と軍部は、日本の生物戦データが軍事能力向上にとって極めて重要な戦略的価値を持つことを認識しました。しかし、東京裁判では米国が主導権を握り、また、米国と石井四郎らとの間で研究データ提供と引き換えに訴追を見送る秘密取引をしていたため、ソ連による石井らの引き渡し要請は退けられました。その結果、ソ連は外交的突破口を開くために、単独裁判へと転じることを余儀なくされたのです。

侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館

――東西冷戦のハバロフスク裁判への影響は?

ハバロフスク裁判は、ソ連と米国が冷戦を背景に731部隊と細菌戦をめぐる駆け引きをする中で実施されました。

ソ連は731部隊の細菌研究と細菌戦に関する初歩的な情報を把握した後、1947年1月7日に国際検察局調査部を通じて連合国総司令部に要求書を送り、石井四郎(731部隊創設者、部隊長)、菊池斎(731部隊細菌研究部長)、大田澄(731部隊総務部長)らへの事情聴取を求め、補充証言によって日本の細菌戦犯罪を暴露しようと試みました。

しかし、米国は一方で東京裁判へのソ連の協力を求めつつ、他方で日本の細菌戦研究データの独占を狙っていました。そして、1945年から1948年にかけての東京・ワシントン間の書簡や電報による議論の結果、米国は、ソ連を排除して日本の細菌戦に関する情報を単独で掌握し、同時にその公開を回避するという目的を達成しました。

ソ連は日本で石井四郎、大田澄、村上隆(731部隊総務部、軍医少佐)らに対する事情聴取を行ったものの、米軍の「事前指示」と監督の下、石井らは極めて非協力的で、有益な情報は得られませんでした。その後、ソ連は石井らの引き渡しと訴追を試み、同時に米国に対して細菌戦の証拠の公開を迫りましたが、ソ連側の「手の内」は米極東司令部に察知されており、交渉では完全に劣勢に立たされました。こうした状況を背景に、ソ連はその1年後、ハバロフスク裁判を開始したのです。

侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館

中国学界は裁判関連資料の研究深化に期待

――中国の歴史学界はその後の世界情勢を踏まえ、この裁判をどう位置付けていますか?

ハバロフスク裁判はソ連が単独で開催した裁判であり、さまざまな限界がありました。国際的参加の欠如、量刑の軽さ(最高刑期25年)、証拠の関連性の弱さなど、不十分な点が露呈したため、西側諸国で広く認められるには至りませんでした。

そして裁判後、日米同盟はさらに強化され、日本の細菌戦犯罪は長期にわたって覆い隠されることになりました。当時、中国国民政府は内戦のため日本の細菌戦犯罪を追及する余力がなく、新中国成立後も国際情勢の制約から、賠償請求は棚上げされました。ソ連は裁判を通じて一定の道義的発言権を得たものの、日米同盟を軸とする地域秩序を変えることはできませんでした。この歴史的問題は、今日に至るまで中日・中露関係に影響を与え、北東アジアの安全保障のジレンマを生み出す根源となっています。

私は、新たに公開された機密資料の掘り起こしなどを通じて、ハバロフスク裁判を再検討し、関連研究の空白を埋めるとともに、国際関係史・冷戦史の研究の新たな領域が切り開かれることを期待しています。(取材・記事:王小燕 校正:鳴海 写真:CFP)

【関連記事】

731部隊に関する新たな公文書が13日に公表

南京大虐殺から88年 「歴史の直視が平和への第一歩」と日本人若手研究者・青山英明氏

◆ ◆

記事へのご意見・ご感想は、nihao2180@cri.com.cnまで。件名に【CRIインタビュー係りまで】と記入してください。お手紙は【郵便番号100040 中国北京市石景山路甲16号 中央広播電視総台亜非中心日語部】宛てにお送りください。スマートフォン用アプリ【KANKAN】の【アカウント一覧】にある「KANKANインタビュー」からも直接投稿できます。ダウンロードは下のQRコードから。

12-14 12:35

更多精彩内容请到 KANKAN 查看