


南京の作家・陳正栄さんのルポ『紫金山下二月蘭』はこんな一文から始まります。
「オリーブは世界で広く知られる平和の樹だ。二月蘭(紫金草)もまた、平和の花として多くの人に知られるようになっている」
「紫金草」は、中国ではもともと「二月蘭」と呼ばれていた小さな野の花。戦時中、その種は南京の紫金山から日本へと持ち帰られ、「紫金草」と名付けられました。その後、懺悔と祈りを託された紫金草は、多くの人の手を経て日本全土に広がり、やがて「平和の花」と呼ばれるようになったのです。
この物語に心を動かされた作詞家・大門高子さんは、組曲『紫金草物語』(作曲:大西進)を創作しました。そして、1998年には紫金草合唱団が結成され、2001 年に始まった合唱団と南京との交流は、現在も続いています。
南京のジャーナリストで作家の陳正栄さんは、約20 年にわたり、大門さんをはじめとする関係者への取材を続け、2017 年に小説『紫金草』、2019 年にノンフィクション『紫金山下二月蘭』を出版しました。小説では、組曲にも登場する中国人少女を主人公に据え、実在の歴史事件や人物を織り交ぜながら描かれており、ルポタージュでは、二月蘭が「懺悔と供養の花」から「平和の花」になるまでの歩みを詳述しています。

広島在住の紫金草合唱団団員の中野勝さんは、元中学数学教師。1982年の初訪中をきっかけに独学で中国語を学びました。2017年、中国語で書かれた小説『紫金草』を読んだ中野さんは、もっと多くの人に読んでもらいたいと翻訳を決意します。
シリーズ 3 回目は、文字で「紫金草」を広め続ける二人にお話を伺いました。
陳正栄さん:現代人として歴史を伝える
陳正栄さん
2001 年春、日本からやってきた 220 人の紫金草合唱団が、南京の青春劇場で初の中国公演を行いました。 花は見ていた 戦争の悲しさ 風と歌う レクイエム 過去のあやまち 忘れぬように 祈りをこめて 花を捧げよう……
南京大虐殺の悲劇を描き、平和への願いを歌う紫金草合唱団。会場では、多くの観客が涙を拭いていました。南京テレビ局の記者として取材に来ていた陳正栄さんも、強く心を揺さぶられたといいます。
「日本には南京大虐殺を否定する人たちもいる。けれど、合唱団の人々は歌で歴史と真摯に向き合い、戦争を反省し、平和を求めていました」
当時、旧日本軍の犯罪行為に関する報道を担当していた陳さんは、悲惨な歴史を掘り下げていくうちに、自分も心に深い傷を感じるようになり、このテーマから逃げたいと思うこともあったと打ち明けます。
「大虐殺は南京の痛みであり、中国の痛みです。一方で、私はひとりの現代人として、あの凄惨を極める歴史とどう向き合っていけばいいのか、悲惨な歴史をどう伝えるべきなのかとずっと考え続けていました」
歌で懺悔を表すだけでなく、未来と平和を希求する合唱団の歌声に、陳さんは一つの道筋を見つけました。歴史を伝え続けること、平和と希望の視点から語り続けることへの決意を新たにしたのです。
組曲『紫金草物語』作詞者・大門高子さん、翻訳者・中野勝さんと懇談する陳正栄さん2025年3月 南京にて
■野の花から平和の花へ〜紫金草の旅物語
二月蘭はどんな土地にも根を張り、静かに春を知らせる健気な花。陳さんが心惹かれたのは、この花の種をめぐる旅の物語でした。
「二月蘭の種を日本に持ち帰ったのは、侵略戦争に加担した旧日本軍の軍人でした。彼は、紫金山の麓に積み重なるしゃれこうべのそばに、紫色の花が咲いているのを見て、衝撃を受けました。花に犠牲者の魂を見た彼は、種を密かに持ち帰り、『紫金草』と名付け、懺悔と平和祈願の気持ちを込めて栽培し続けました。そして、日本各地、そして世界へと広めていったのです」
種を持ち帰ったのは山口誠太郎氏。1966年に彼が逝去した後も、長男の山口裕さん(1924~2013)が遺志をつぎ、2007年には募金で集めた1000万円を侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館に寄付。「紫金草花園」を作り、日本で採れた種を蒔きました。現在、記念館に咲く紫金草の中には、この時から続く“里帰り”の花もあります。
陳さんはそうした取り組みを、「紫金草は単なる野の花から、平和の祈りと願いが託された“希望のシンボル”になった」と評価しています。そして、「歴史を銘記し、未来に向けて、平和の願いを継承し続けたい。この想いが、自分が紫金草に関する執筆を続ける力になっている」と語りました。
中野勝さん:若者に歴史を伝えたい
訪問先の南京田家炳高等学校に訳書を寄贈する中野さん
2017年の紫金草合唱団の中国ツアーで全員に贈られた本が、陳正栄さんの小説『紫金草』でした。その翻訳を手掛けたのが中野勝さんです。
現在、77歳の中野さんは、広島生まれの元中学数学教師。父親は元満鉄社員で敗戦後チチハルから帰国。家庭でも中国の話題が多かったそうです。
中野さんは長年、731部隊の証言集の翻訳や、森村誠一原作に基づく合唱『悪魔の飽食』への参加を通じて、日本の加害の歴史と向き合ってきました。そして、2010年の演奏会で、紫金草合唱団の「花をテーマにした優しい表現」に驚き、以降、ほぼ全ての海外公演に参加しています。
1ヶ月以上かけて小説『紫金草』を読み込んだ中野さんは、「仲間たちにも読んでもらうべき価値がある本だ」という思いから、400ページ以上の小説を半年で翻訳し、自費出版。1000部のうち半数ほどがまだ手元にあり、「できるだけ多くの人に読んでもらいたい」と語ります。
■歴史教育の歪みと危機感
中野さんを突き動かしているのは、日本の歴史教育と政府の姿勢に対する危機感です。「政府は戦争のことを教えず、虐殺や細菌戦を認めても公式謝罪をしない」「『日本政府はいつになったら過去を認め、反省するのか』と中国人が思うのは当然」と、中国人の心情への理解を示します。
また、教師時代から“歴史教育の歪み”に疑問を抱いていた中野さんは、「日本の若者は知らされていない。それなのに、知らないことで責められる。若者からしたら、それは理不尽なことではないか」とも言います。
そして、「組曲『紫金草物語』は、人が人間として生きるには、忘れてはならないことがあると歌っています。しかし、今の日本の若者たちには、日本軍の多くの悪事が、そもそも知らされてさえいない。忘れる以前の問題です。だからこそ、知っている人が伝え続けることが大切なのです」と活動を続けてきた思いを語りました。
紫金草の歌はいつまでも
2025年3月 南京理工大学に咲く紫金草の花
この春、紫金草合唱団は 8 年ぶりに南京を訪れました。初訪中からはすでに24 年の月日が流れ、団員たちの高齢化も進み、亡くなった方もいます。今回参加した団員の平均年齢は 75 歳になりました。「これからは昔のように頻繁には来られなくなるだろう」。口に出さなくても、多くの人の胸にはそんな思いがあります。
しかし、陳さんは「平和と良き世界への願いが永遠に変わらないように、合唱団が伝えようとする価値もずっと続いていく」と確信しています。そして次のような言葉でインタビューを締めくくりました。
「美しい心 は醜悪さに打ち勝ち、傷を癒す力を持ちます。紫金草の物語は、痛ましい歴史の記憶を胸に刻みながら、平和を祈り、ともに生きる決意を示すものです。この歌は、今後もずっと両国の人々の心に響いていくことでしょう」
つづく
(取材・記事:王小燕 校正:鳴海美紀)
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