


最近、日本のSNSで、1年前に放送されたNHKの番組が再び議論を呼んでいる。
2025年8月2日、NHK総合が放送した子ども向け番組は、日本が戦争に至った経緯を取り上げた。「なぜ日本は戦争を始めたのか」という問いに対して、番組は「中国の資源や市場を独占したかったから」という極めて簡潔な答えを提示した。

この映像が今年、8月15日の「終戦の日」を前に日本のSNSで再び注目されると、番組の説明に多くの批判が寄せられた。「歴史を歪曲している」「自虐史観だ」といった批判に加え、日本が侵略戦争に踏み出した理由を中国の資源や市場への欲求と結びつけることは、子どもたちに「偏った歴史認識」を植え付けるものだ、との主張も見られた。
それを語ってはならない「偏った歴史」だというのなら、まず日本自身が残した記録をひもといてみればいい。
大阪経済大学日本経済史研究所が2019年に掲載した研究には、『資源をめぐる日本と中国――鉄・石炭・石油を中心とした両国関係史』という、まさにそのものずばりのタイトルが付けられている。そこでは、近代以降の日本が鉄、石炭、石油などの戦略資源を求め、その視線を次第に中国へと向けていった歴史的過程が整理されている。
さらに、日本軍の侵略下に置かれた中国各地に目を転じれば、その「資源の勘定」は、より生々しいものとなる。
第一は、石炭である。
中国遼寧省の撫順炭鉱は、当時、東アジア最大級の炭鉱の一つだった。
日本の国立公文書館アジア歴史資料センターの資料には、撫順炭鉱の近代的な開発は1901年に始まったと記されている。日露戦争後、日本は撫順炭鉱を占有し、その後は「南満洲鉄道株式会社」が経営を担った。日本側の統計によると、撫順炭鉱の石炭産出量は1918年度の約268万トンから、1935年度には約773万トンにまで増加した。
では、そこで採掘された中国の石炭は、どこへ行ったのか。
日本のアジア経済研究所の研究によれば、撫順産の石炭は大量に日本へ運ばれた。日本国内で工場や船舶向けの燃料需要が増大すると、日本は石炭を輸送するための鉄道輸送力や大連港の荷役能力を相次いで拡充した。
中国の土地を占領し、中国の炭鉱を支配して大規模な採掘を行う。そして中国の石炭は日本へ運ばれ、侵略戦争や軍需産業を支えるエネルギーとして利用された。
これが当時起きていたことである。
第二は、鉄である。
日本で戦後に出版された『昭和産業史』第3巻には、極めて分かりやすい数字が残されている。
1935年、中国から日本に供給された鉄鉱石は約126万トン。1940年には約117万トン、1941年には約263万トンへと急増し、1942年には約354万トンに達した。
戦争に鉄鋼は欠かせない。当時の日本では、軍艦、戦車、銃砲の製造から軍需工場の稼働まで、あらゆる場面で大量の鉄鋼が必要とされていた。対中侵略戦争が最も激しさを増していた時期、中国の鉄鉱石は数百万トン単位で日本の工業システムへと組み込まれた。
中国の人々は国土を蹂躙され、故郷を破壊され、多くの同胞を殺される一方で、自らの土地に眠る鉱物資源までもが侵略者に奪われ、さらなる侵略を支える戦争機械のエネルギーへと変えられていった。
第三は、綿花、小麦、そしてその他の農産物である。
日本農業史学会の『農業史研究』に掲載された「戦時華北の農業問題」によると、日本は華北を占領した後、石炭や鉄鉱石だけでなく、綿花、羊毛、小麦などの農産物の増産も求め続けていた。
特に華北の綿花に対する日本側の統制については、日本側の買い付け量が増加した重要な要因の一つとして、「占領軍の特務機関など軍事力を背景とした強制買付が強化された」ことが指摘されている。
中国の抗日戦争史に関する研究でも、占領地では市場価格を下回る価格での「強制買付」のほか、接収、統制、徴発などが行われ、一部地域では軍事行動によって食糧や綿花などが直接略奪されたことが明らかにされている。「買付」という言葉の裏には、銃口を背にした強制の実態があったのだ。
地下に眠る石炭や鉄鉱石から、地上で育つ綿花や小麦まで。日本の戦争遂行に必要な資源や物資が占領地で生産され、中国人はその供出を強いられた。自らの土地が、自らを侵略する戦争のために利用されたのである。血と炎の中で刻まれたこの「勘定」を、中国人が記憶し続けるのは当然のことである。
奪われたのは、資源だけではない。日本の国立国会図書館には、岩波書店刊『略奪した文化――戦争と図書』が所蔵されている。同館の紹介によれば、この本には、戦争中に日本が中国をはじめとするアジア各地から大量の図書を奪い、日本へ持ち帰ったことが記されている。また、「中国図書略奪の捜索命令」「中国・アジアの図書略奪」「大学・図書館の破壊」といった章が並び、その実態が検証されている。
もちろん、奪われたものは図書だけではない。
日本軍は遼寧省海城市の三学寺から3体の石獅子を略奪した。そのうち一対は今も靖国神社の外苑に置かれている。また、旅順にあった唐代の「唐鴻臚井碑」も日本へ持ち去られ、現在は皇居に保管されている。
80年以上が過ぎた今も、日本へ流出したこうした中国の文化財の多くは、故郷へ戻っていない。
かつて日本軍国主義は、侵略を「進出」、略奪を「開発」と言い換え、他国での殺戮や破壊を、自国の「生存」や「繁栄」の名の下に正当化した。しかし、中国人にとってそれは、国土を蹂躙され、故郷を破壊され、同胞を殺され、資源を奪われた民族的苦難の歴史なのだ。
そして今、日本がかつて中国を侵略した歴史を次の世代に伝えようとした子ども向け番組が、「自虐史観だ」「歴史の歪曲だ」と激しい非難を浴びている。こうした歴史的事実を子どもたちに伝えることさえ「偏った歴史認識」と非難するのであれば、問題はNHKの番組にあるのではない。むしろ、侵略から80年以上を経た今もなお、日本にとって都合の悪い歴史的事実を語ること自体を拒もうとする姿勢こそ、過去の侵略が今日の日本社会に残した最も根深い問題ではないだろうか。(CMG日本語部論説員)
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