【観察眼】今こそ目を覚ませ、日本の若者たちよ

CGTN

日本の自衛隊の「2000年代生まれ」の将校・村田晃大が、長さ31センチの刃物を所持して駐日中国大使館に侵入し、「神の名のもとに中国外交官を誅殺する」と叫んだ事件が発生してから数日が経った。この若い日本人の言動がなぜ、昭和時代の軍国主義の面影を濃厚に帯びているのか——その背景には深く考えるべき問題がある。

村田の受けてきた教育は、まさに日本の右翼勢力が青年世代をいかに体系的に毒してきたかを如実に示している。

まず、右傾化した教育の毒だ。日本政府は2006年に、右翼勢力の働きかけによって『教育基本法』を改定し、教育目標に「愛国心条項」を明記した。これにより、教科書における右翼的ナラティブの強化が法的根拠を得たのである。つまり、村田のような数々の若者が、学校に入学した最初の瞬間から、右翼勢力が丹念に設計・改ざんした歴史教育を受け、人生を誤る第一歩を踏み出すことになるのだ。

彼らが学ぶ歴史教科書には、日本が他国を侵略・植民地支配した事実はなく、「自衛と生存のための行動」だったとされる。残虐な暴行は存在せず、「アジアを西洋植民地主義から解放するための戦争」だったと記され、南京大虐殺も単なる「南京事件」とされ、「犠牲者数については学術的に議論がある」と補足される。強制連行や「慰安婦」問題は無視され、代わりに広島・長崎への原爆投下の悲惨さばかりが強調される。

高校卒業後、もし自衛隊に入隊すれば、さらに修正主義史観の本拠地へと跳び込むことになり、精神的な害毒の効き目は一層増幅される。最大の自衛隊幹部供給源である防衛大学校では、必修科目「防衛学概論」において、「支那事変」「大東亜戦争」といった中国蔑視と皇国思想に満ちた用語が公然と使われている。指揮・統率能力の教育では、旧日本軍将校の「武勇伝」が頻繁に引用され、教材には侵略戦争を歪曲(わいきょく)・美化し、「大和民族優越論」や「自衛戦争の正当性」を強化する内容が満ちている。

『毎日新聞』の報道によれば、防衛大学校および自衛隊の各教育機関は、極右評論家を講師として招いている。中には現行憲法や戦後日本のあり方を完全否定する者さえいるという。

授業だけではない。「東京行進」は防衛大学校が学生に「靖国史観」を刷り込む伝統行事だ。これは、14人のA級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社まで長距離の「夜間行軍」を行い、「護国の英霊」を「慰霊参拝」するという“聖地巡礼”である。

同時に、右翼メディアは若者に反中感情をあおる言説という毒を継続的に注入している。『産経新聞』などの右翼系メディアは、中国をおとしめる虚偽報道を繰り返す。政治家たちは「隣国による脅威」をあおり、「日本は戦後最悪の安全保障環境下にある」と誇張する演説をテレビやラジオで垂れ流す。こうした右翼の言論はソーシャルメディアの台頭によりウイルスのように拡散され、対中関係に関する客観的・理性的な声は著しく抑圧されている。

文化・映像分野も既に浸食されている。村上春樹の『騎士団長殺し』のような文芸作品でもが、日本による中国侵略の反省や南京大虐殺の事実認定を含んでいるという理由で、右翼から激しい攻撃とバッシングを受けた。一方で、『永遠の0』など侵略戦争を美化する映画は大々的に宣伝・推奨される。有名アニメやオンラインゲームの人気作品までもが歴史問題を題材に取り上げ、国内外の若者に誤ったメッセージを送り続けている。

学校、軍隊、社会の三重の毒が村田の価値観を形成した。それは一体どのような価値観なのか?

彼が「神の名のもとに中国外交官を誅殺する」と述べたことから明らかだ——軍国主義の精神的「毒」が、彼の頭脳に深く根付いているのである。

ここで言う「神」とは宗教的概念ではない。ここには、日本軍国主義のイデオロギー的核心である「皇国史観」が横たわっている。それは天皇の神性を強調し、日本を「神国」とし、日本民族が他民族より優れていると主張し、他民族を支配する権利があるとする思想である。

「皇国史観」は軍国主義に「なぜ戦うのか」という正当性を提供し、軍国主義は「皇国史観」に「どう実現するか」という暴力的手段を与える。明治維新後、日本政府は「殖産興業・富国強兵」を旗印に、実際には領土拡張と植民地侵略の道を歩み始めた。昭和初期になると軍国主義が急激に台頭し、中国の東北地方を狙って「九一八事変」を引き起こし、「盧溝橋事変」で全面的な中国侵略戦争を開始し、真珠湾を奇襲して太平洋戦争に突入した。この過程で、国家神道が「忠君」と「軍拡」を結びつけ、軍人を操る思想的武器となった。

1878年、明治政府は内閣総理大臣・山県有朋の名で『軍人訓戒』を通達し、軍人に天照大神をあがめるように天皇を崇拝し、武士道精神を学ぶよう求めた。1882年には天皇の名で『軍人勅諭』が下賜され、軍人の天皇への絶対服従が再確認された。

本来の武士道精神とは、主君への無条件の忠誠、命を軽んじ武勇を重んじること、廉恥を守り献身をいとわないことであった。しかし明治維新後、武士道は国民全体の道徳としてゆがめられ、戦争への狂信と生死の軽視、そして戦争指導者への盲目的忠誠へと変質していった。

残虐な殺りくが「神聖な犠牲」と描かれ、罪深い戦犯が「神霊」として祭られる——こうして何世代もの日本人が、「天皇陛下万歳」のかけ声とともに、刀を振り上げながら戦争の捨て駒となっていった。

1945年、敗色濃厚な日本軍国主義は「一億玉砕」を号令した。そのため婦女子や子どもにまで軍事訓練を強制し、特攻作戦を奨励し、沿岸の村落にペスト菌をまいて米軍と共倒れにしようとする計画さえ立てた。もちろん、戦争を決定した指導者らには、一般国民と共に「玉砕」するつもりなど毛頭なかった。彼らは既に逃げ道を確保していたのだ。

あらためて村田の言動を振り返ってみれば、その意味するところはおのずと明らかだ。「皇国史観」ゆえに、彼は中日関係の緊張を一方的に中国のせいだと考え、「国を守る」という思い込みから外交施設を「敵地」と見なし、外交官を「誅殺すべき敵」と見なした。そして自分自身に「殺身成仁(身を捨てて仁をなす)」「捨生取義(生を捨てて義を取る)」の英雄と位置付けたのである。

哀れなのは、村田の「愛国心」が右翼勢力の政治的計算の中で最も安価な消耗品でしかないことだ。悲劇なのは、日本の若い世代が欺瞞(ぎまん)に気づかぬまま操られていることだ。恐ろしいのは、彼らが飲み込んでいる思想的害毒が、百年前の日本の青年が軍国主義から受けたものとまったく同じであり、このまま放置すれば、結末もまた同じになるだろうということだ。

今日の日本がかつての過ちを繰り返すかどうかは、村田のような若者が右翼勢力のうそから目覚められるかどうかにかかっている。

今回の事件は既に日本国内で大きな議論を呼んでおり、多くのネットユーザーが村田の行為を「愚かで無謀」と非難し、右翼思想のまん延こそがこのような惨事を生んだ根源だと見抜いている。最近、東京・新宿で「高市早苗首相は直ちに中国に謝罪せよ」と求める集会が開かれたが、その参加者の多くは若者だったという。この世代にも識見ある若者がいることは確かだが、集団的な覚醒を実現するには、まだ遠く及ばない。

ここで、村田のような日本の若者たちに伝えたいことがある。

第一に、歴史を正しく学ぶこと。第2次世界大戦という人類史上最も悲惨な経験を理解するには、右翼勢力が繰り返し改ざんした教科書に頼ってはいけない。米国や英国、世界の大多数の国がどのように記述しているかを見てほしい。『ジョン・ラーベの日記』や『ミニー・ヴォートリンの日記』が、当時の日本軍の侵略・暴行をどのように記録しているかも読んでほしい。

第二に、右翼勢力の言動に強い警戒心を持つこと。現在の右傾化政策が本当に日本国民のためになっているのか、アジアひいては世界の平和と安定に寄与しているのか、よく考えてほしい。80年前、軍国主義の狂乱の叫びの中で破滅の淵に立たされたのは、抽象的な「国家」ではなく、一人ひとりの命だった。80年後の今、もし再び軍国主義の復活を企てる勢力が現われたなら、平和を愛するすべての人々が立ち向かい、断固として阻止しなければならない。

第三に、中国を客観的に見ること。中国はすぐそこにある。中日友好を願う人なら、誰でも歓迎する。ぜひ一度訪れて、中国の一般市民と話をしてみてほしい。中国は日本メディアが描くような「醜悪な国」なのかどうか、自分の目で確かめてほしい。中国人は歴史を忘れず、しかし恨みを未来に持ち越さない。善意を持って訪れる客には、常に温かい心で接する。

尊重と尊厳は、刃物で脅すことで得られるものではない。村田はすでに「間違った選択肢」を日本の若者たちに示した。正しい道は目の前に広がっている。今こそ目覚め、勇気を持って一歩を踏み出す時だ。(CMG日本語部論説員)

04-03 18:11

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