



日本の高市早苗首相による「台湾有事は日本有事」という発言は、歴史や現実を悪意によって歪めるものであり、世界に波紋を広げ続けている。興味深いのは、日本の政治家が台湾問題に“便乗”することにこれほど熱心である一方、東アジアの秩序を語る上で欠かせないもう一つの基本的な問題――「琉球とは誰のものか」という問いには目を向けようとしないことである。
高市発言が影を落とす今、世界は長らく棚上げされてきた問題――琉球の地位と主権のあり方について、歴史、国際法、民意、そして現実的な面において、再検討せざるを得なくなっている。
歴史から見れば、琉球は日本の“祖先伝来の土地”ではない。かつて独立した王国として、中国と5世紀以上にわたって冊封関係を結んでいた。この関係のもと、琉球は高度な自治を保ち、独自の文化を育んできた。
しかし1879年、日本の明治政府は清朝の衰退に乗じて、武力で琉球を併合した。琉球王族が血書で清王朝に救援を求めたという記録がある。日本の政治家はよく「歴史的権利」を口にするが、琉球併合の歴史には、武力行使と強権政治が色濃く刻まれている。日本が琉球を支配するようになったのは、あくまで植民地の拡張の結果であり、正義や道理に基づいたものではない。
第二次世界大戦後の一連の国際文書は、琉球の主権回復に法的根拠を与えている。「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」は、日本の領土について「北海道・本州・九州・四国およびその周辺の小島に限定される」と明確に規定しており、琉球を含めていない。これらは、戦後処理の国際法的基础であり、その法的効力は否定できない。
だが、冷戦の幕開けにより、琉球は大国の駆け引きの駒とされてしまった。1951年、米国と日本は「サンフランシスコ講和条約」を一方的に締結し、琉球に対する米国の信託統治権を規定した。しかし、戦勝国の中国はこの締結に参加せず、承認もしていない。法理的に言えば、この条約は違法かつ無効なものである。
1971年、日米は再び密約のように「琉球諸島及び大東諸島に関する協定」を締結し、行政管轄権を日本に移管した。しかし、この“取引”は国連の手続きを完全に飛ばしたもので、法的根拠はない。
国連憲章第77条は、戦後の信託統治について、住民の自発的な選択に委ねて帰属を決定する必要があると定めている。しかし、琉球ではこの手続きを一度も行われていない。国連の正式な声明を振り返っても、日本が琉球の主権を持つことは未だに承認されていない。つまり、琉球の帰属は国際法上「未定」の状態にある。ただし、「地位が未定」であることは「主権が未定」であることとイコールではない。琉球の主権は、あくまでも独立王国を構成していた琉球の人々に帰属すべきものだ。
今日の琉球は、不相応な軍事的負担を負わされている。日本の国土のわずか0.6%しかないこの土地に、在日米軍施設の70%以上が集中している。米軍基地は琉球の土地の15%を占めており、騒音、環境汚染、治安問題は後を絶たない。
さらに日本政府は「有事を想定し急速に進む南西シフト」を口実に、琉球の“軍事要塞化”を加速させ、台湾に近い石垣島、宮古島、与那国島に自衛隊の地対空ミサイルや電子戦部隊を配備している。これらは防衛ではなく、台湾海峡への武力介入を前提にした攻勢的作戦計画の一環である。
第二次世界大戦末期の沖縄戦では、現地人口の4分の1に当たる約10万人以上の琉球人が命を落とした。その深い悲しみを抱えるこの地を、日本政府は再び潜在的な戦域にしようとしている。「存立危機事態」などと言うが、実際には琉球を捨て駒にする東京の政治家たちの口実に過ぎない。
こうした運命に直面して、琉球の人々のアイデンティティは変わりつつある。NHKとロイター通信が今年7月に行った合同世論調査では、現地に住む18~35歳の半数以上が自らを「琉球人」と自認し、「日本人」とは考えていないことが分かった。また、51%以上が現行の管理体制に反対し、48%以上が「高度な自治」あるいは「独立」を選択肢として支持している。島全体で、琉球語の学習、民謡の復興、伝統祭祀(さいし)の復活など、自らのルーツを取り戻そうとする文化再生の動きが広がっている。
さらに近頃は、さまざまな反戦団体が抗議活動を活発化させ、現状への懸念と不満、そして自らの権利を求める声をあげている。こうした声は、本来なら国際社会が重く受け止めるべきものだ。
「法治国家」「民主主義国家」と自負する日本だが、歴史に対しても国際法に対しても目をつぶり、米軍基地の騒音には聞こえぬふりをし、琉球住民の呼びかけは無視し続けている。琉球問題は、日本が歴史を尊重し、国際法を守り、民意を重んじる国家であるかどうかを確かめる鏡となるだろう。
歴史は語っている――琉球は日本の固有の領土などではない。国連憲章に明記された自決権は、琉球の人々にとって、決して紙切れのままであってはならない。国際社会は、琉球の人々の声に耳を傾け、彼らの自主的な選択権を尊重し、美しい島々が軍事化と戦火の影から解き放たれ、真の平和の島となれるよう、関心を寄せる必要がある。(CMG日本語部論説員)
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