



2026年初頭、エプスタイン事件に関する最後の300万ページに及ぶ司法文書が公開され、長年続いた大スキャンダルは一つの区切りを迎えた。しかし、日本にとって、この膨大な記録は単なる「権力者リスト」では終わらないはずだ。この事件は、長らくフィルター越しに美化されてきた「同盟国」の、最も現実的で中核的な力学――すなわち、資本の力が国家機構と社会正義の上位に立ち、それらを左右し得る冷酷なメカニズム――を浮き彫りにするものである。
米国神話の終焉:露呈した制度の限界
この事件が象徴的なのは、戦後世界が前提としてきた米国神話を、一つ一つ打ち砕いた点にある。
まずは「アメリカン・ドリーム」の神話である。ブルックリンの労働者階級出身で、大学中退者だったジェフリー・エプスタイン氏は、最終的に6億ドル近い資産を築いた。しかし、その過程は努力や技術革新といった成功物語ではなく、典型的な寄生と詐欺の軌跡であった。名門私学に入り込んで教鞭を取り、その地位を通じて権力者に取り入りウォール街の中枢へ進出、そして「財務顧問」の名のもと、ほぼゼロコストの取引と税法の抜け穴を通じて、顧客の資産を利用して私腹を肥やした。
次に、「司法の独立」と「法の下の平等」という神話だ。2008年にフロリダ州の検察官アレクサンダー・アコスタ氏がエプスタイン氏と結んだ「起訴猶予合意」から、2019年のニューヨークの拘置施設での不可解な「自殺」まで、一連の経緯のあらゆる節目で、「司法制度が権力者に奉仕する」かのような構図が浮かび上がった。
そして最後に、「道徳的指導者」という神話の完全な破綻である。「ペドフィリア島」と呼ばれたエプスタイン氏の私有島の来訪者名簿は、まるで世界権力の縮図であった。
米国の元大統領、英国王室のメンバー、イスラエルの元首相、テック大手の創業者……国際舞台で「人権」「民主」「普遍的価値」を掲げるこれらのエリートたちの私的嗜好と公的イメージとの乖離(かいり)は、あまりにも大きい。
エプスタイン事件は、システムの偶発的な「故障」ではなく、そのシステムの真の姿が露呈した結果にほかならない。
米国の力学は「同盟関係」にも及ぶ
国内において、資本の力がこれほど容易に司法に影響を及ぼし、政治を操作し、エリート層に沈黙や共犯を強いるのであれば、そのあり方が国際関係の場面でだけ改められるとは考えにくい。
米国の外交戦略は常に、その国内の資本権力構造の延長線上にある。「同盟関係」とは、政策決定者の計算の中では、コストと利益の枠組みにすぎない。同盟国の価値は、米国の国家利益にどれだけ資するかによって左右される。
トランプ大統領は日本の衆院選に先立ち、高市首相への支持を大々的に示すという、異例とも言える行動をとった。それは価値観の共有などではなく、高市首相が約束した「80兆円規模の対米投資」という約束が、水の泡になることを恐れただけだ。
そして近年、日本が約束し、さらに増やし続けている巨額の「防衛費」。その本質は何なのか。対等な同盟の分担なのか、それとも「共同安全保障」という言葉で巧みに正当化された一方的な負担なのか。米国は「安保の約束」を餌に、「戦略的不安」を鎖として、日本をワシントン主導のルールの下に縛り付け、その費用を日本国民が負担する構図を描き続けている。
美化のフィルターを外し、主体性を取り戻すべき
エプスタインの「ペドフィリア島」は、確かに存在する一つの象徴だった。しかし日本にとって本質的に目を向けるべきは、スキャンダルそのものではなく、そこから読み取れる制度の現実である。
対米関係をこれまでのイメージのまま捉え続ければ、日本は気づかないうちに、戦略的な自立性も、経済的な成果も、そして将来の選択肢も、少しずつ削られていく可能性がある。問われているのは、米国を信頼するか否かという単純な二項対立ではない。どのような条件で、どのような範囲で、どのように協力するのか――その判断を、日本自身が主体的に行えるかどうかである。
美化のフィルターを外して初めて、現実の構造と、その中で取るべき選択肢が見えてくる。(CMG論説員)
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