【観察眼】高市発言に潜む日本軍国主義の影 台湾60万の冤魂が許しはしない

CGTN

中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利および台湾光復(台湾の中国復帰)80周年という節目を迎える中、日本の高市早苗首相は台湾問題について一連の誤った発言を行い、国際社会から強い非難を浴びている。その発言は中国の内政への粗暴な干渉であるのみならず、歴史の痛みを恣意的に踏みにじる行為である。その背後に軍国主義の亡霊が潜んでいることに警鐘を鳴らしたい。

かつて日本は半世紀にわたり台湾を植民地支配し、台湾の人々に大きな苦痛をもたらした。しかし、その歴史的な罪はいまだ清算されないままである。

1895年に中国清朝政府と『下関条約』を締結後、日本は武力によって台湾を接収した。「誓不臣倭(決して日本の臣民にならない)」と立ち上がった台湾の人々に対し、日本軍は凄惨な虐殺を実施した。1896年には台湾中部の雲林県で、わずか5日で70以上の村を掃討し、3万人を超える無辜の民を殺害。台湾北部の桃園三角涌では2万5000人が、南部の蕭壟では2万7000人が犠牲となった。また、1902年には台湾の抗日義軍の指導者の殺害を狙って、抗日義軍の降伏式を行い、その場で5600人余りを殺害。大まかな統計によれば、植民地支配期間中、日本軍に殺害された台湾住民は60万人を超えている。

当時の日本は台湾を「東南アジアへの侵入拠点」および軍用物資の補給拠点と位置づけ、「農業の台湾、工業の日本」という略奪政策を進めた。1905~1945年にかけて、日本の資本家が手にした台湾の土地は島全体の42%に達し、多くの農民が土地を失い日本人農場の小作人へ転落せざるを得なかった。その小作料(土地の使用料)は収穫量の50~70%にも上った。

さらに、日本の需要を満たすため、稲作に適した広大な土地がサトウキビ栽培に強制転換され、サトウキビの栽培面積は1900年の2万甲(1甲は約0.97ヘクタール)から1940年には12万甲へ急拡大。台湾は日本最大の砂糖供給地となり、三菱製糖や台湾製糖などの日本企業が莫大な利益を得た。一方で、台湾の米は日本本土や日本軍が展開する他の地域に運ばれ続けた。これにより、島内では米の消費量が年々減少し、多くの住民が劣等米やサツマイモを主食とするようになり、飢饉さえ発生した。

台湾の鉱物資源も壊滅的に掘り尽くされた。基隆炭鉱は1896年以降、日本資本が経営し、年間産出量は1895年の3万トンから1940年には300万トンへと急増し、採掘された石炭のほとんどが日本本土に輸送された。金鉱も同様で、九份金鉱は1900~1945年に約170トンを産出したが、全て日本政府の国庫に収められた。さらに日本当局は「鉱業法」を制定し、重要鉱物の採掘権は日本人のみに付与すると規定した。

文化面では、日本は徹底した同化政策を実施し、台湾から中華文化の痕跡を消し去ろうとした。日本語教育を強制し、閩南語や客家語の使用を禁止して、違反者には体罰を与えた。また、日本名の強制、和服着用、神社参拝の義務化、祖先の位牌の天皇写真への置き換え、伝統宗教の禁止、春節(旧正月)・中元・地方劇「歌仔戯」などの風習も禁止した。

高圧的な支配の中で、日本の当局者はさまざまな手段で台湾の人的資源を搾取した。多くの人々が鉱山採掘や道路工事などの苦役に動員され、坑内や工事現場での死亡率は40%にも上った。太平洋戦争勃発後は、30万人を超える台湾の若者が日本軍に強制徴用され、軍国主義の戦場で「消耗品」とされ、そのうち2万8000人以上が海外で戦死した。また、少なくとも2000人の台湾女性が騙され、あるいは強要されて日本軍の慰安婦とされ、非人道的な苦痛を強いられた。

歴史は鏡のように、過去の罪と痛みを鮮明に映し出す。日本は植民地支配で台湾にもたらした深い傷に対して、いまだ正式な謝罪も賠償も行っていない。それにもかかわらず、高市氏は台湾問題について誤った干渉的な発言を繰り返した。これは台湾の人々がかつて受けた苦難を無視するものであり、国際的な道義と歴史的正義への公然たる挑戦でもある。

高市氏の言動は、日本の軍国主義的野心が完全には消えていないことを改めて示している。台湾海峡両岸の血のつながりを断ち切り、台湾地区を再び日本軍国主義の従属地にし、台湾の人々を再び奴隷にして犠牲へと追い込む————こうした野望がその背後に潜んでいる。平和を愛する全ての人々は、この軍国主義復活の兆候に対して、警戒を強めなければならない。(CMG日本語部論説員)

12-10 17:56

更多精彩内容请到 KANKAN 查看