



先週、中米両国の首脳が北京で握手を交わし、「中米の建設的な戦略的安定関係」を、今後3年間の基調とすることを確認した。トランプ米大統領は訪中を終えた数時間後、米メディアのインタビューでこう明言した。「私は誰か(台湾)が独立に向かうことを望んではいない」「9500マイルも飛んで戦争しに行くなんて望んでいない」。
米大統領が「台湾独立」を支持しないと表明すると、日本は慌てふためいた。高市早苗首相はすぐさま、帰国途上の大統領専用機内にいたトランプ氏と電話会談を行ったと発表し、「大統領から今般の中国訪問についてかなり詳細に説明をいただいた」「中国をめぐる諸課題を中心に意見交換を行った」と述べた。しかし、メディアから「米中首脳会談で、日本に関するやり取りがあったかどうか」と問われると、高市氏は正面からは答えなかった。だが、それこそが答えだ。15分間の電話会談の中で、もし米側から何らかの確約を引き出せていたとしたら、高市氏の性格からして、真っ先に宣伝していたはずだ。一言も触れなかったということは、つまり、取り合ってもらえなかったということだ。
さらにばつが悪いことに、日本メディアの報道によると、高市政権はトランプ訪中に先立ち、「日本への立ち寄り」をワシントンに働きかけ、「トランプ氏が先に訪日する可能性がある」との情報を流して、日米の緊密さを演出しようとしていた。ところがその結果はどうだったか。今回の訪問で、米側が日本と接触したのは、ベッセント財務長官が東京で高市氏を表敬訪問した15分間のみだった。こちらも15分。「中国をめぐる諸課題」を話し合うにはあまりにも短い。ベッセント氏が記者団に、「高市氏から中国に関する具体的な要望はなかった」と語ったのもうなずける。
「中国の脅威」をあれほど煽り立てていた日本政府が、肝心な場面で要求の一つも口に出せなかったのはなぜか。結局のところ、日本は米国の戦略盤上の一つの「駒」に過ぎないのだ。日本の政治家たちがあの手この手で根回しを行い、「台湾問題」を持ち出し、「中国脅威論」を喧伝しようとも、大国同士が握手をする瞬間には、一つの駒の気持ちなど誰も気に留めない。
日本があっさりと「頭越し」にされたのは、これが初めてではない。1970年代のニクソン米大統領による中国電撃訪問は、日本政府にとってはまさに寝耳に水だった。盟友であるはずの米国が中国と手を組んだことを、新聞の見出しで初めて知ったのだ。その衝撃は、当時日本で「ニクソンショック」と呼ばれた。そして今回、またしても日本は蚊帳の外に置かれたのである。
今回の訪中団の顔ぶれも注目を集めた。アップルのティム・クックCEO、エヌビディアのジェンスン・フアンCEO、世界長者番付トップのテスラのイーロン・マスクCEO……そうそうたるメンバーだ。日本メディアによると、訪中した米財界人たちの総資産は日本の年間予算を上回るという。彼らはみな、中国の巨大なビジネスチャンスを求めてやってきた。その関心は、サプライチェーンの安定と利益の最大化に向けられており、日本の焦りや懸念など眼中にない。
トランプが「台湾独立」不支持を表明した5月15日、実は日本の閣僚もAPEC女性と経済フォーラム出席のために訪中していた。昨年11月の高市氏の「台湾有事」をめぐる誤った発言以降、日本の閣僚の訪中はこれが初めてだったが、中国側は日本側との「個別会談」を一切設定しなかった。日本の存在感の薄さは推して知るべしだ。
こうなったのは誰のせいなのか。二つの大国が握手して「安定」を唱え、世界中が平和と安定を願っている。その中で日本の政治家たちは、いまだに「小細工」ばかりしている。東南アジアでは「インド太平洋戦略」を掲げて徒党を組み、台湾問題にあれこれ口を挟んで、事態をますますこじらせているのだ。
結局日本は、この「勘定」を正しく見積もれていないのだ。手元の「帳簿」を見れば、防衛予算は倍増し、消費税は据え置かれ、物価は高騰を続けている。日本政府が「台湾有事」という言葉を弄するたびに、その代償は積み上がっていく。そして、そのツケは結局、日本の国民が支払うことになる。高市氏のXアカウントにはネットユーザーから、「アメリカが関与しないなら、『台湾有事』は本当に日本『有事』なのか?」との問いも投げかけられている。
それも当然だ。普通の日本人は、普通に仕事をして、家族を養い、春には桜を楽しむ、そんな穏やかな暮らしを望んでいる。「台湾有事」は本当に日本「有事」なのか?日本政府は「安全保障」の名の下に、軍備拡張と憲法改正を進め、国民の暮らしを顧みない。歴史の教訓はまだ足りないのか。戦争は日本を再び引き裂き、普通の人々から家族を、故郷を、穏やかな日常を奪い去るだけだ。
そう考えれば、「中米の建設的な戦略的安定関係」の最大の受益者が誰であるかが見えてくる。それは、動乱を最も恐れる小さな国々であり、戦争に巻き込まれたくない日本の一般市民も含まれる。普通の人々が安心して過ごせる何気ない日常こそ、「安定」という言葉の最も具体的な証なのだ。
日本の政治家たちは、いいかげん目を覚ますべきではないだろうか。真の愛国とは、国を戦争の瀬戸際に追いやることではない。平和憲法は、日本を「戦争ができる普通の国」にするためにあるのではない。日本の国民が「戦争をしなくていい平和な国」で生きるためにあるのだ。東アジアの安定を壊すことに躍起になっている日本の一部の政治家は、いつか自分の愚かさと無謀な冒険の報いを受けることになるだろう。(CMG日本語部論説員)
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