


昨年冬を境に中日関係は急速に悪化した。その発端は、高市首相の台湾問題をめぐる誤った発言だった。台湾問題は中国が「核心的利益」と位置づける内政問題であり、今回の一件によって、中日関係における台湾問題の敏感さ、複雑さが改めて浮き彫りにされた。
台湾では現在、「台湾独立」を掲げる民進党政権の下、いわゆる「台湾人の記憶の再構築」ともいうべき動きが加速している。とりわけ近年では「日台協力」の文脈から、「台湾人日本兵」(中国語表記「台籍日本兵」)を見直そうとする動きがあり、彼らをめぐるドラマやドキュメンタリーが相次いで制作されている。
戦後、長らく語られることのなかった歴史の暗部が、なぜいま注目されているのか。そして、世界の恒久平和のために、私たちは「台湾人日本兵」の歴史に何を学ぶべきなのか。
中日関係史や日本の皇民化教育を研究する四川大学歴史文化学院副教授、四川師範大学日韓研究員客座研究員の李若愚氏に話を伺った。
四川大学歴史文化学院・李若愚副教授
■1937年に始まった動員 日本の台湾植民地史の実像
――「台湾人日本兵」とは?
1937年の「盧溝橋事変」を契機に、日本は台湾総督府を通じて台湾人の大陸への動員を始めた。彼らの当初の役割は、主に後方支援と占領当局の治安維持であり、身分は正規の「軍人」ではなく、軍で最下級の「軍夫」あるいは「軍属」だった。
太平洋戦争が勃発し、兵員が不足すると、日本は台湾住民を対象に志願兵の募集を始めた。その多くが東南アジアに派遣された理由は、日本陸軍省が中国が台湾人の祖国であることを深く認識し、台湾人兵士が戦場で同胞と対峙した場合の行動を予測しがたいものと懸念していたためと考えられる。
1944年9月1日には、台湾でも日本本土と同様の徴兵制が初めて施行されたが、それは台湾人兵士への信頼が深まったからではなく、追い詰められた日本の窮余の一策に過ぎない。
なお、歴史研究の対象としての「台湾人日本兵」の一般的定義は、「身分を問わず、日本軍に参加した全ての台湾人」であり、その総数は20万人に及ぶ。
1895年4月、台湾の割譲を定めた『馬関条約』(日本名「下関条約」)調印の様子(CFP資料写真)
■「志願」は「半ば強制的、半ば自発的」 だった
――中国大陸での「台湾人日本兵」研究のポイントは?
最大の焦点は、なぜ彼らが日本軍に参加したのかという問題だ。彼らの「志願」とは、真の自由意志によるものではなく、半世紀にわたる植民地支配と高圧的な政治、そして「洗脳」の結果であるという点が注目されている。
また、日本の台湾植民地史を語る際には、1896年の「雲林大虐殺」や1930年の「霧社事件」など、日本が台湾を侵略する際に行った残虐行為を忘れてはならないと考えている。
2025年12月、霧社事件を描いた映画『セデック・バレ』(魏徳聖監督2011年)が中国大陸でリバイバル上映(写真CFP)
注:「雲林大虐殺」は日本軍が抗日勢力の掃討を口実に、台湾の雲林地区の住民を虐殺し、3万人以上が犠牲になったと言われる。「霧社事件」では、台湾中部の霧社に住む原住民族・セデック族が過酷な労働や抑圧に抵抗して蜂起し、日本軍の武力鎮圧により1000人に上る犠牲者が出たとされる。
台湾南投県愛郷にある霧社事件の指導者モーナ=ルーダオの記念碑(写真CFP)
――「日本の皇民化教育」を研究する立場から、「台湾人日本兵」をどう捉えるか?
台湾人日本兵が戦場で残虐な行為に及んだ背景には、日本の皇民化教育によって人間性が失われていたという点を認識する必要がある。しかし、欺かれ煽動されていたという事実も、個人の戦争責任を免れる理由にはならない。この点については、国際法上でもすでに結論が出ており、戦後173名の台湾人日本兵が国際軍事法廷で有罪判決を受け、うち26名が死刑を宣告されている。
私は、軍国主義に欺かれた者と、一握りの日本の軍国主義者を区別して見ることには賛同する。ただしそれには、「欺かれた者が侵略の歴史を真摯に反省する」という前提が不可欠だと考える。
日本統治下の台湾で皇民化教育を行う「高学校」(CFP資料写真)
――2016年6月、沖縄で落成した「台湾の塔」の石碑には、蔡英文氏による「当時の日台の兵士は皆戦友であり、生死を共にし、栄辱を分かち合った…先人たちの深い絆と情谊を心に刻み、末永く引き継ぎ、発揚してほしい」という碑文が刻まれている。蔡氏はまた、「台湾人日本兵」の歴史を「台湾人の記憶の一部として迎え入れる」「歴史的正義の追求を支援する」と表明した。このような言動とその影響についてどう評価するか。
蔡氏の言葉は、民進党当局が歴史を政治利用していることの現れであり、歴史を尊重する姿勢が全くないことを示している。
真実は、「栄辱を分かち合った戦友」とはほど遠く、台湾人は軍犬よりも低い地位の「軍属や軍夫」として、また戦争の消耗品として扱われた。
また、台湾人日本兵は最も困難な任務に派遣されることが多く、総数20万人以上の「台湾人日本兵」のうち、戦死者は約3万人、戦死率は14.6%に達した。この数字は、同じ植民地であった朝鮮の9.2%を大きく上回っている。日本は、朝鮮人に対しては陸軍士官学校や陸軍幼年学校への門戸を開放するなど、一定の信頼を寄せ、台湾人よりも厚遇していた。それとは対照的に、台湾人日本兵は環境が最も劣悪な最前線へと送り込まれ、過酷な運命を強いられたのである。
日本統治下の台湾において、統治者がいかに制度を利用して民衆を脅迫・動員したかについて証言を残した「台湾人日本兵」は少なくない。1920年に台北に生まれた徐東波氏もその一人だ。徐氏は、「どうせ全員が徴兵のくじを引かなければならない。くじ引きで入隊すれば給料はわずか10元だが、志願すれば160元もらえる。当時の自分は、そういう半ば強制的で、半ば自発的とも言える心境で、日本軍に入隊した」と証言している。
しかし、そういった声は、民進党政権下では意図的に無視され、切り捨てられた。
1945年10月25日、台北市で台湾地区日本軍の受降式(降伏文書調印式)が行われ、50年に及ぶ植民統治が終結(CFP資料写真)
■切り取られた歴史記憶 見え隠れする歴史修正主義
――近年、台湾公共テレビ(PTS)が「台湾人日本兵」を題材にした作品を相次いで制作・放送している。これをどう評価するか。
民進党政権発足後、PTSは濃厚な台湾独立色を帯びるようになった。
2024年のドラマ『聴海湧』、2025年のドキュメンタリー『氷封の記憶』はいずれも、「部分的な真実」で「全体的な不正義」を覆い隠そうとしている。たとえば、台湾人兵士の戦後に体験したソ連での捕虜生活などの「苦難」という断片的な記憶だけに焦点を当てている。一方、彼らがなぜ侵略者側の一員として偽満州国に渡ったのかという点やその経緯、現地で行った住民への抑圧といった事実については意図的に言及を避けている。
個人の悲劇への憐れみをもって戦争責任への反省に代える。これは、日本の右翼史観の典型的な手法だ。加害者と被害者の境界を曖昧にするような表現方法の背後には、戦争責任を曖昧にする歴史修正主義が透けて見える。
1945年10月25日、降伏文書に調印する台湾総督・安藤利吉(CFP資料写真)
■歴史の全貌を直視し、悲劇の再発を防ぐ
――日本でも近年、「人権」「尊厳」「国家賠償」といった観点から「台湾人日本兵」への関心が高まり、「日台の緊密さ」を裏付ける文脈で語られることもある。これをどう考えるか。
中国戦線が世界反ファシズム戦争勝利の主要な戦場であったことは、すでに定説となっている。「台湾人日本兵」は皇民化教育によって、加害者に共感や好意を抱く「ストックホルム症候群」的な状態にあった。彼らの特殊な体験を、台湾人が大陸を敵視し日本を肯定する根拠とするのは、日本の右翼と台湾島内の強硬な独立分子だけであろう。
その本質は、日本の植民地支配を美化することで台湾住民の中国人としてのアイデンティティを瓦解させることにある。右寄りの高市政権が誕生し、中道の公明党による牽制が消えた今、民進党はこれを好機として日本への接近を強めている。
彼らが結託して目指す「記憶の再構築」は、台湾人が搾取され、「戦争の生贄(いけにえ)」として扱われた屈辱の歴史を忘却させ、戦争の元凶を受け入れさせようとする試みにほかならない。
「台湾人日本兵」を美化し、「日台の友情」を顕彰することは、歴史を重視することではなく、日台の特殊な政治的関係を構築するための手段に過ぎない。歴史から教訓を学ぼうとしないのであれば、それは真に歴史と向き合う姿勢とは言えない。
台湾南投県愛郷の霧社事件記念公園にある記念像(写真CFP)
――「台湾人日本兵」の体験は同情に値するかもしれないが、尊敬の対象とするべきではないという声もある。悲劇を繰り返さないために、いま何が求められているか。
何よりも必要なのは、物事の根本を見極める視点だ。
第二次世界大戦の評価に曖昧な解釈は許されない。台湾人日本兵は、法的にも道徳的にも、日本の侵略軍の一部であったという事実を、まず直視しなければならない。
民進党はいま、「台湾人日本兵」を日台の「情誼(きずな)」として語り、「台湾人の記憶の一部分」として刻んでいこうとしている。しかし、その裏には、植民地支配下の台湾人日本兵に「国民待遇」が与えられることは終ぞなく、日本の敗戦とともに彼らがただちに切り捨てられたという、不都合な歴史があることを忘れてはならない。
また、台湾にはいま、「文化的な台湾独立」の傾向が見られるが、これについても警戒が必要だ。歴史の記憶を政治的な道具として利用してはならない。
歴史を都合良く切り取るのではなく、その全貌を率直に受け止めてこそ、歴史は鑑としての役割を果たせるのだ。
人類は反ファシズム戦争を通じて、「正義は必ず勝ち、平和は必ず勝ち、人民は必ず勝つ」という歴史の法則を学んだ。悲劇の再発を防ぐには、東アジアの平和を守り抜く意思を持ち、歴史の大きな流れの中で正義を明確に見極めていくことが求められる。
(聞き手・構成:王小燕、校正:鳴海)
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