平和の花・紫金草が後世に伝えること⑤ 〜咲き続けていく花 受け継がれていく平和の祈り

KANKANインタビュー

南京の春を彩る紫金草・二月蘭

南京紫金山の麓に咲く二月蘭は、今や「紫金草」という名で親しまれています。

1939年、旧日本軍衛生材料廠(しょう)廠長・山口誠太郎氏(1888-1966)は、侵略に対する懺悔と深い反省の思いを胸に、南京からこの花の種を持ち帰り、「紫金草」と名付けて日本中に広めました。

この話に感銘を受けた児童文学者の大門高子氏は、1998年に組曲『紫金草物語』を創作し、その後、紫金草合唱団を結成。2001年の南京初公演以来、今日まで中国との交流を続けています。

人々の心に蒔かれた平和の種は、20数年の時をかけて大きく成長しました。シリーズ最終回は、これからも続く紫金草の旅物語を追います。

2025年春 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館に咲く紫金草の花

■里帰りした紫金草 大虐殺の地の平和の花園

南京にある侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の一角には、春になると紫金草が一面に咲き誇る花園があります。そこには、紫金草の花を手に遠くを見つめる少女像(写真)が佇んでいます。

この花園は2007年春、日本の有志の寄付によって整備され、同年秋には、日本全国から集められた15キロの紫金草の種が蒔かれました。この「紫金草の南京への里帰り」は、彼らの侵略戦争への深い反省と犠牲者への哀悼の意を南京の人々に伝え、受け入れられたことを象徴する出来事でした。

2003年春、紫金草花園の設営が決まった際、山口誠太郎氏の長男・裕氏(故人)はこう述べています。

「紫金草の名は南京紫金山にちなんで付けられました。この花は、日本国民が紫金山のふもとで起きた大惨事を忘れず、日中永久の平和を誓う拠り所となるでしょう」

侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館にある記念碑

■平和活動のシンボルとなった紫金草

2001年に始まった紫金草合唱団と南京との交流によって、紫金草は今や、国際平和都市・南京市の平和活動のシンボルとなりました。毎年12月13日の国家追悼日には、南京で「紫金草行動」が実施され、折り紙や種まき、バッジの配布などが行われており、2年前には、南京で紫金草児童合唱団が結成されました。

2025年春 紫金草合唱音楽会で挨拶する周峰館長

この春に訪中した紫金草合唱団の演奏会では、南京紫金草合唱団との共演が実現。記念館の周峰館長は次のように語りました。

「歴史を銘記する目的は恨み続けることではなく、過去から教訓を学び、未来へ向かい、人々に平和への憧れと決意を呼び起こすことです。この小さな紫色の花は、歴史の証人であり、平和を願う人々の希望を託された『歴史の花』『平和の花』です」

2025年春 南京を訪れた紫金草合唱団

■南京理工大学の取り組み

紫金草の名前の由来となった紫金山は、悲惨な歴史を刻む地です。1937年12月初旬、紫金山麓では中国軍数千人が日本軍と4日4晩にわたる激戦を交え、全員が戦死しました。この一帯では、旧日本軍将校による「百人斬り競争」が行われたほか、市民約3万人の遺骨が確認された集団埋葬地も発見されています。

2025年春 南京理工大学に咲く紫金草の花

1953年、この山の麓には大学が創立され、南京理工大学となりました。キャンパスのメタセコイアの林と紫金草の花が織りなす景色は、南京の春を象徴する風物詩となっています。

宮載春さん

大学の広報担当だった宮載春氏は2002年春、地元の新聞で、「紫金草:二月蘭の63年の数奇な物語」という記事を読んで、大学に咲く花が深い意味を宿していることを知り、強い感銘を受けました。

当時、大学のイメージ構築に取り組んでいた宮氏は、紫金草に込められた「平和」のメッセージこそ大学の特色になり得ると確信します。さらに、キャンパスに旧日本軍の兵営跡が残ることから、山口氏が種を採取したのはこの一帯だったのではないかと考えました。

宮氏はその後、大門高子氏と連絡を取り、組曲『紫金草物語』の楽譜と歌詞を入手。美しい旋律と、歴史と真摯に向き合う歌詞に心を動かされた宮氏は組曲の一部を中国語に翻訳。大学の学生合唱団のレパートリーに加え、いつか日本の合唱団と共演しようと決意しました。2005年冬、宮氏は南京で大門氏らと初対面し、再会を約束。

2006年春 南京理工大学「平和園」除幕式に出席する山口裕さん(右)

翌2006年春には、山口裕氏や大門高子氏を含む170人の合唱団員が南京理工大学を訪れ、メタセコイアの林に、平和を祈る大合唱を響かせました。

2025年春、約70人からなる紫金草合唱団が久しぶりに大学を訪問。「和平の声」合唱団の団員や、大学の付属小学校の生徒たちが出迎えました。満開の紫金草の中、旧友たちは再会を喜び合いました。紫金草が咲き誇る林道には、20年の歩みをたどる写真パネルが並んでいました。

2025年春 南京理工大学に展示される写真パネルを眺める大門さんと団員たち

長年、紫金草と共に歩み続けてきた大門氏も、今年で80歳。すっかり白髪となった姿で、中国の若者と共に歌いながら、そっと目頭を押さえる場面もありました。そして、「今も世界で戦争が続くことに胸が痛む。戦争の悲しみを乗り越え、歌で交流できる場を続けていきたい」と、思いを口にしました。

2025年春 南京理工大学で行われた合唱交流会

結びに

紫金草の花が、中日両国の人々に共有される「平和の花」になるまでには、多くの人の思いと努力がありました。野の花も、平和の花も、人の手と心で育ちます。大門氏は、未来を担う子どもたちにも史実を伝えていくために、さらに、絵本『むらさき花だいこん』を創作しました。1999年に出版されたこの絵本はすでに18刷を重ね、日本の若い世代に広く歴史の姿を伝えています。

2025年春 南京理工大学で行われた合唱交流会

大門さんは次のように綴ります。

「花も平和も人の手で人の心で守り育てられるもの。人間が人間として生きるには、忘れられないことがある。忘れてはならないことがある」

紫金草合唱団の田中義教さんは語ります。

「日本が中国を侵略した歴史をきちんと伝え、二度と戦争してはいけない。侵略の歴史を忘れてはならない」

そして、「平和は与えられるものではなく、自分たちで作っていくもの、守っていくもの」――これは団員に共有される思いです。

紫金草の花に刻まれた歴史の記憶、そして未来への祈りは、これからも途絶えることのない歌声と共に南京から日本へ、そして世界へ、未来を生きる子どもたちへと語り継がれていくことでしょう。

(取材・記事:王小燕 校正:鳴海美紀 写真提供:南京理工大学)

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