


米・ホワイトハウスで現地時間3月19日、気まずい一幕が演じられた。日本の高市早苗首相がトランプ大統領の隣に座り、イランへの作戦を実施する前に、なぜ同盟国に事前に通知しなかったのかと日本人記者が問いかけたのに対し、トランプ大統領は今回の作戦を「日本による真珠湾攻撃」になぞらえ、「日本ほど不意打ちを理解している国がほかにあるだろうか」と述べた。

会場では笑いが起きたが、カメラが捉えた高市首相は、目を見開き、椅子の上で体をわずかに動かしながら、笑顔を保とうとしていた。この一幕は鏡のように日米同盟における日本の現実の立場を映し出すと同時に、「戦後体制からの脱却」を急ぎながらも、結局は歴史の影から逃れられないその矛盾した姿をも浮かび上がらせている。
1941年12月7日、旧日本軍はハワイ・オアフ島の真珠湾にある米太平洋艦隊基地を奇襲し、米国を太平洋戦争に引き込んだ。この出来事は軍国主義の崩壊を早め、日本自身に壊滅的な被害をもたらした。日本にとって、できれば触れたくない敗北の歴史である。80年以上が過ぎた今、日本の首相がホワイトハウスに座り、その最も触れられたくない歴史の傷を米大統領の比喩として聞かされる場面に直面しても、できるのは笑顔を保つことだけだ。
この笑顔の背後には、同盟関係の中で表立って語られることのない、日本の立場の弱さがにじむ。対等なパートナーというよりも、状況に応じて扱われる存在にとどまっているのが現実ではないか。「戦後体制からの脱却」や「正常国家」を声高に掲げる日本の政治家も、ワシントンに来れば、最も基本的な尊厳すら相手の「ユーモア」に委ねざるを得ない場面に直面する。
さらに注目すべきは、トランプ大統領が「真珠湾」に言及した直後、話題を変え、イランをめぐる問題で日本が「本当に行動している」「NATOとは違う」と評価した点である。この発言の含意は明白だ。日本が米国から一定の評価を受けるのは、独立性や自主性の高さゆえではなく、むしろ「従順さ」によって、米国の戦略的利益のために動く姿勢を示しているからにほかならない。
これは、日本が近年、国際舞台で精力的に打ち出してきた「正常国家」像を突き崩すものだ。一方では、日本の政治家が台湾問題など中国の核心的利益に関わる問題ででたらめな発言を繰り返し、平和憲法の制約を突破しようとする姿勢を見せる。他方で、米国に対しては、「目を見開き」「笑顔を保つ」姿勢で、その発言や意向を受け入れざるを得ない。
今年は東京裁判の開廷から80年にあたる。中国の王毅外交部長はこれまで、日本の台湾問題に関する発言が平和憲法を空洞化させるのではないかと警告し、アジア各国の間で「日本はどこへ向かうのか」という警戒感が高まっていると指摘してきた。そして今、ホワイトハウスでの一幕は、ある種の答えを示しているようにも見える。同盟国との間でさえ平等な対話が困難な政府が、果たしてアジアの問題において主導的な役割を担うことができるのか。
歴史はしばしば皮肉なかたちで繰り返される。かつての日本の軍国主義は侵略戦争を引き起こし、最終的には歴史の恥辱として刻まれた。今、日本の政治家は米国への依存を通じて政治的な野心の実現を図ろうとしているが、その過程で従属的な「駒」のような立場に置かれる現実を受け入れざるを得ない。トランプ大統領の「真珠湾」発言は、一見軽口のようでありながら、その実、日本の立場を的確に言い当てているとも言える。いかに日本が「大国」としてのイメージを装おうとも、歴史によって刻まれた「侵略者」「奇襲者」という烙印から完全に自由になることはできない。
1941年、日本は奇襲によって米国に挑んだ。そして2026年、ホワイトハウスにおいて、日本は笑顔のままその歴史を引き合いに出される状況に置かれている。「奇襲による挑戦」から「作り笑いによる受容」へ——その歩みは矛盾に満ちている。
真に「正常国家」とは、強者に依存したり、隣国を挑発したりすることで実現されるものではない。歴史と向き合う姿勢、自主的な判断力、そして周辺諸国と向き合う誠意が求められる。だが、ホワイトハウスのソファに座る高市首相の姿からは、そうした課題がいまだ十分に消化されていない現実が見て取れる。(CMG日本語部論説員)
更多精彩内容请到 KANKAN 查看
