【観察眼】日本はなぜ「敗戦」に向き合おうとしないのか

CGTN

今年の8月15日、日本の政治家たちが示した歴史認識と行動が、国内外の注目を集めた。

高市早苗首相は靖国神社への直接参拝は見送ったものの、自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。さらに全国戦没者追悼式の開会前、日本武道館の駐車場から靖国神社の方向に向かって遥拝した。この日は4人の閣僚や自民党幹部が靖国神社を参拝し、超党派の国会議員89人も集団で参拝した。

その後、全国戦没者追悼式で高市首相が読み上げた式辞では、「反省」「教訓」「アジア」といったキーワードに触れることが避けられ、「戦争の惨禍を繰り返さない」という従来の表現も、「戦争の惨禍を繰り返させない」へと変えられた。

2026年8月15日 全国戦没者追悼式で式辞を読み上げる高市首相(CFP)

「繰り返さない」と「繰り返させない」。違いはわずか一字である。しかし、その一字によって言葉の重心は変わる。

「繰り返さない」は、自らの過去を振り返り、自らを戒める言葉である。一方、「繰り返させない」は、戦争の発生を阻止する側に自らを位置づける表現としても受け取ることができる。この一字だけで首相の意図を断定することはできないが、「反省」「教訓」といった過去を振り返る言葉が同時に姿を消したことを考えれば、この変化を単なる言い換えとして片づけることもできないだろう。

ここから、一つの問いが浮かび上がる。

日本は、8月15日をいったいどのような日として記憶してきたのか。

日本政府が8月15日に定めている正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」である。しかし、日本社会では一般に「終戦の日」という呼び方が定着している。

では、なぜ「敗戦」ではなく「終戦」なのか。

「敗戦」と言えば、そこには当然、「なぜ敗れたのか」「誰と戦ったのか」「なぜその戦争を始めたのか」という問いが生じる。それに対して「終戦」は、戦争が終わったという結果を示す一方、その戦争を始めた主体や責任を言葉の外に置くことができる。

政治軍事史研究者の纐纈厚氏も、この問題を指摘する。「敗戦」を価値中立的な「終戦」と呼び換えることによって、戦争責任の総括と清算を回避しているというのである。

同様に、「戦死者」を「戦没者」と呼び、「感謝」を捧げることにも、概念をすり替える意図があるという。ジャーナリストの西園寺一晃氏はこれについて、「正義の戦争であったなら『感謝』は当然だ。しかし、それが誤った侵略戦争であったなら、国家は異郷の地で命を落とした兵士とその遺族に対し、『感謝』ではなく『謝罪』を表明すべきである」と指摘し、これら用語に潜む欺瞞性に強く警戒するよう呼びかけている。

そして、もう一つ考えなければならないのが、「日本は誰と戦い、誰に敗れたのか」という問題である。

複数の世論調査によれば、日本人の多くが第二次世界大戦について「日本は米国に敗れた」と認識していることが示されている。しかし、日本が戦った相手は米国だけではない。中国を含む連合国との戦争に敗れ、降伏したのである。

湖南省懐化市にある中国人民抗日戦争勝利受降記念館(CFP、2023年9月撮影)

1945年8月21日から23日にかけて、中国政府は湖南省懐化市芷江(しこう)で日本軍の降伏を受け入れ、約100万人に上る日本兵の降伏に関する具体的な条件について協議した。これにより、14年にわたる抗日戦争と第二次世界大戦は終結した。同記念館は、この歴史的な出来事を今に伝える記念施設である。

では、実際の戦争において、中国戦線はどれほどの比重を占めていたのか。

1941年から1945年まで、日本が中国戦線に投じた軍事費は415億円に達し、南方戦線の2.26倍に上った。太平洋戦争が始まった1941年末の時点でも、日本陸軍の約7割が中国戦線に配置されていた。そして、1931年の九一八事変から1945年の敗戦まで、日本は14年にわたり中国大陸で戦争を続けた。つまり、中国戦線は太平洋戦争の「前段階」でも「脇役」でもなく、日本の戦争全体を考えるうえで極めて大きな位置を占めていたのである。

纐纈氏は8月16日に東京都内で行われた講演で、1874年から1945年まで日本が行った対外戦争の主戦場の多くは中国と朝鮮半島にあり、その後の英米を相手にした南方戦線は、本質的には対中侵略戦争の延長線上にあったと指摘した。ところが戦後、日本の戦争記憶では、真珠湾攻撃、沖縄戦、本土空襲、広島・長崎への原爆投下など、米国との戦争が大きく前面に出る一方、それ以前から長く続いていた中国をはじめとするアジアでの戦争は相対的に軽視されてきた。

その結果、「日本は米国に敗れた」という認識だけが強調され、「中国をはじめアジア諸国とも戦い、その侵略の末に敗戦を迎えた」というもう一つの重要な側面が見えにくくなった。日本がアジアの近隣諸国に対する加害責任を深く反省できなかった根源には、このような経緯があるのではないだろうか。

1945年9月9日 南京の中央陸軍軍官学校大講堂で行われた中国戦区における日本軍の降伏調印式

「敗戦」を「終戦」と呼び換え、対米戦の記憶を前面に押し出し、侵略戦争の加害性を曖昧にする。こうした歴史認識は、戦後81年を経た現在も日本社会の一部に根強く残っている。さらに一部の右翼勢力は、侵略戦争を「自衛戦争」として正当化し、日本をもっぱら戦争の被害者として描こうとしてきた。こうした歴史の捉え方は、近隣諸国との信頼を損ない、地域の平和と安定にも影を落とし続けている。

今年の8月15日を前に、福田康夫元首相はインタビューで、「日本は、戦争をする国にはなりたくないという意思表示を常々していかなければいけない国です」と語り、周辺国との良好な関係を築くこと以外に日本が生き残る道はないと断言した。戦争を経験した世代の元首相が、戦後81年の今、改めてこう語った意味は重い。

歴史認識は、国家の未来を支える根幹である。歴史を都合よく歪めたり、向き合うべき責任から目を背けたりしていては、日本が持続可能な平和的発展の道を歩み、国際社会から真の信頼と尊重を得ることは難しい。

自ら封じてきた歴史に誠実に向き合い、そこから改めて教訓を汲み取ってこそ、日本はアジアの隣国、ひいては国際社会との持続的な信頼関係を築き、平和な未来へと歩みを進めることができるのである。(CMG日本語部論説員)

08-18 16:11

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