ドキュメンタリー監督・原義和さんに聞く(後編)記録は次の戦争を止める力になる

KANKANインタビュー

イラクやアフガニスタンで戦争が続いていた1990年代、原さんは映像の仕事を始めた。

沖縄は、以前から関心を抱いていた場所だった。1945年、住民を巻き込んだ凄惨な地上戦が起きた土地である。しかし原さんは、「沖縄戦は沖縄だけを見ていては理解できない」と語る。

「戦争が絶えない現代において、人類はどうすればそれを克服できるのか。戦争の実相を徹底的に取材し、記録に残すことこそが、次の戦争をストップさせる力になる」

それが、原さんがドキュメンタリーを通じて追い続けてきたテーマであり、信念である。一本一本の作品は、その問いに対する自分なりの回答だという。

原義和監督

■沖縄戦と中国戦線はつながっている

「沖縄戦はいきなり1945年に始まったものではありません。その前に中国大陸での侵略戦争がある。中国戦線のことを知らなければ、沖縄戦は分からないのです」

原さんはそう強調する。

映画『豹変と沈黙』より:牛島満旅団長の南京戦時の命令を表現

実際に沖縄戦で日本軍守備隊「陸軍第32軍」司令官を務めた牛島満(1887-1945)は、かつて歩兵第36旅団長として南京攻略戦に参加していた。

原さんは、牛島のことを「南京での戦争犯罪を武勲のように携えて沖縄にやってきた人物」だったと見る。

また、1944年8月、沖縄の学童らを乗せて九州へ向かっていた疎開船「対馬丸」が撃沈されたが、その背景にも、直前に上海から沖縄へ第62師団を輸送していたという軍事上の経緯があった。

沖縄戦は、単独で存在していたのではない。日本軍は中国大陸で積み重ねた侵略と暴力が、沖縄へと持ち込まれていった。『豹変と沈黙』は、その見えにくいつながりに光を当てた作品でもある。

■「鬼」への豹変と、差し伸べられた手

映画『豹変と沈黙』より:南京を流れる長江  1937年12月は川面が死体で埋まった

タイトルの「豹変」と「沈黙」は、兵士たちの戦時中と戦後の姿に深く関わる言葉だ。

「戦場で残虐な行為に及んだ者も、元々は家族を愛する普通の人間でした。日記からは、彼らが戦場に置かれたことで『鬼』へと豹変してしまうリアルが見えてきます」

原さんが重視するのは、それを遠い過去の特殊な人々の話として片付けないことだ。

「それは遠い誰かの話ではなく、私たちの祖父母の世代が直面した真実です。誰もが戦場に放り込まれれば、『鬼』になってしまう。それを知ることこそが、二度と戦争を繰り返さないことにつながると思います」

映画『豹変と沈黙』より:1937年当時の陣中日記

『豹変と沈黙』では、父親の戦中日記を隠さず公開し、加害の歴史と向き合おうとする息子たちの姿も見せている。慰安所へ行くことを「征服」とまで書いた日記を取材させてくれたことについて、原さんは「尊い覚悟」だと受け止めている。

映画『豹変と沈黙』より:元日本兵の父を持つ山本敏雄さん

一方で、戦中日記だけでは見えてこないものもある。日記に書かれていない歴史、戦後も本人たちが語らなかった出来事。そして、侵略された側の視点である。

「戦中日記をたどるだけでは、日本兵の一兵卒の目線でしか戦争を語っていないことになります。侵略される側の中国人がどう受け止めたのかが見えてこない。私の心としては、日本兵の目線だけでは成立しない。ほんのわずかでも、侵略された側の気持ちを描きたかったのです」

その葛藤から、原さんは中国や韓国でのロケを決断した。

映画『豹変と沈黙』より:中国南京で父親の足跡をたどる田中信幸さん

完成した作品には、兵卒の息子・田中信幸さんが南京を訪れ、南京大虐殺の生存者の娘である常小梅さんと交流する場面が収められている。侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館のモニュメントを背に、常さんは「これからは平和のために共に頑張りましょう」と手を差し伸べ、二人は固い握手を交わす。

映画『豹変と沈黙』より:田中信幸さんと常小梅さんの握手

「私たちの親が受けた被害は決して忘れない。しかし、私たちが憎むのは日本人ではなく、戦争なのです」

常さんのこの言葉に、原さんはハッとさせられたという。

「加害者は意図的に記憶を忘却したがりますが、被害者は忘れない。それでは真の平和は作れません。差し伸べてくれた手に対して、日本人である我々はどう答えるべきなのか。歴史を決して忘れず、繰り返さないためにはどうすれば良いのかを、考え続けることが必要です」

■映画は残る——記録を続ける理由

映画『豹変と沈黙』より:田中信幸さんから父親への問い

2013年から2016年頃にかけて、原さんはフリーランスの映像制作者として、日本人「慰安婦」問題や住民虐殺などを取り上げたドキュメンタリーを立て続けに制作し、テレビで放送してきた。

「当時もピリピリしながらではありましたが、それでも放送できました。けれども今は、そうしたテーマに対するハードルが年々高くなっている。メディア環境は非常に健全ではないと思います」

そうした環境の中で、『豹変と沈黙』は、タブー視されがちな歴史を「日記をたどる」という手法で伝え、真実に近づこうとする表現者としての「小さな努力」だった。

しかし、現実は厳しい。撮影、取材、制作、配給までほぼ一人で担ったこの自主制作映画は、興行的には振るわず、大きな赤字を抱えているという。

「正直なところ、上映してくれる劇場が広がっていないことが非常に残念です」

興行収入だけではない。原さんは、「批判の声すら入ってこない」という静けさにも寂しさを感じている。

それでも、原さんは映画という形に希望を見いだしている。テレビ番組は、放送されればすぐに過去のものになっていく。だが映画は残る。たとえ公開時に多くの人に届かなかったとしても、次の一本を作り続けることで、過去の作品にも再び光が当たることがある。

「映画は残る」

その信念が、原さんを次の制作へと向かわせている。

■平和への問いに、映像で答え続ける

『豹変と沈黙』の上映会は、今年も開催される予定だ。だが原さんには、映画が完成した後も、まだ果たさなければならない「宿題」が残っている。

映画『豹変と沈黙』より:南京大虐殺を生き残った常志強氏の娘・常小梅さん

「常小梅さんに、この映画を見てもらいたい。南京へ行って、『ありがとうございました』と感謝を伝えたいのですが、まだ叶っていません。今年中には必ず会いに行きたい」

そして原さんは、すでに3作目に取り組んでいる。文部省唱歌をはじめ、歌を通して見えてくる戦争のリアルに迫る作品だ。

「とても他の仕事をしながら作れるものではありません」

貯金を取り崩しての、まさに背水の陣である。それでも原さんを突き動かしているのは、「人類社会で平和をどう実現できるか」という根本的な問いだ。

ドキュメンタリー制作を始めて以来、自身のライフワークとして向き合い続けてきたこの問いに、映像制作者として自分なりの回答を出したいという覚悟がある。

「歴史を振り返れば、ささいな諍いから長く続く戦争へ発展していった例がたくさんあります。リーダーには冷静な対応が求められますが、今の高市首相の振る舞いは、むしろリスクを高めているように感じます。緊張を緩和し、平和を維持する方向へとかじを切ってほしい。私は一介の映像ディレクターに過ぎませんが、沖縄を再び戦場にさせてはならないという危機感を持って取り組んでいるのです」

歴史を原点から直視すること。加害と被害の記憶を受け止めること。そして、人々が手をつなげる関係を築いていくこと。

そのために、原さんは今日もカメラを回し続けている。

(聞き手・構成:王小燕、校正:梅田謙)

本記事に掲載している写真は、すべて本人提供によるものです。

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