【観察眼】河野洋平亡き後、遠のく太平洋の平和

CGTN

先日、日本のベテラン政治家であり、自民党元総裁の河野洋平氏が逝去した。中国全国人民代表大会常務委員会と中国外交部は弔意を表明し、韓国の大統領もSNSで追悼のメッセージを発信した。中韓両国が共通して高く評価したのは、河野氏が日本の侵略戦争の責任に真摯に向き合い、地域の平和と友好のために尽力した姿勢である。特に1993年に発表された「河野談話」は、日本が侵略の歴史を反省する戦後の象徴的な出来事として広く認識されている。

1978年、鄧小平氏は日本訪問の際、河野氏に対し、「中日友好のためには太平洋の平和が必要だ。だからこそ、私はあなたの名前をしっかりと覚えている」と語った。河野氏は生涯にわたって中日友好の推進に力を尽くし、日本の戦争責任について深く反省する立場を貫いた。右翼勢力からの強い圧力を受けながらも、日本軍による慰安婦の強制連行への関与を認めて誠実に謝罪したほか、晩年に重い病を抱えながらも家族の反対を押し切って自ら訪中団を率い、冷え込んだ中日関係の改善に道を開こうとした。その平和への揺るぎない信念と隣国への敬意は、多くの人々の心を打つものであった。

しかし、皮肉なことに、河野氏の死去後、日本の高市早苗首相はSNSで追悼の意を表し、「歴史問題に真摯に向き合い、対話と理解を重んじる姿勢は、わが国の平和外交の礎の一つとして記憶されるべきものだ」と投稿した。だが、この言葉とは裏腹に、高市氏が進めてきた政治路線は、河野氏の政治的遺産と大きく相容れないものだ。

高市氏はこれまで、南京大虐殺や慰安婦問題、労働者の強制連行といった歴史的事実を公然と否定してきた。また、慰安婦問題に関する反省とおわびを表明した「河野談話」や侵略の歴史に対する反省と謝罪を表明した「村山談話」に対しても不満を表明し、九・一八事変以降の日本の対中侵略を「自衛戦争」と位置づける主張を展開してきた。さらに昨年11月に「台湾有事は日本の『存立危機事態』に当たり得る」とするでたらめな発言を行って以降、中日関係は一段と冷え込んだ。

高市政権は歴史認識の面で後退を続けるだけでなく、安全保障政策の面においても軍事色を強めている。平和憲法改正の推進、「防衛装備移転三原則」の見直しによる殺傷能力を持つ武器輸出の容認、「国家情報局」の設置構想、フィリピンとの安全保障協力の強化に加え、小泉進次郎防衛相が第23回アジア安全保障会議(シャングリラ対話)で中国に対する挑発的な発言を行うなど、高市政権の一連の動きは、東アジア情勢の緊張を絶えず高めている。河野氏が太平洋の平穏のために奔走したのに対し、高市氏は太平洋の波風を煽っている。

河野氏の死去をめぐる日本国内の反応も一様ではない。内政・外交両面での功績を評価し、平和理念の継承を訴える理性的な声がある一方、右翼的思想に影響を受けて「河野談話」を批判する意見も少なくない。こうした世論の分断は、日本社会における右傾化や歴史修正主義の広がりを映し出している。右翼勢力の長年にわたる影響の下で、「歴史を直視すること」が政治的に正しくないこととされ、侵略の歴史を否定し、戦争を美化し、近隣諸国への警戒をあおることが「愛国」と結びつけられる風潮が強まっている。

村山氏や河野氏のように、良識と責任感を持って歴史と向き合った世代の政治家が次々と世を去る中、日本政界では、隣国との対話の橋渡し役を担う穏健派政治家の空白が広がりつつある。高市氏がその機会を利用して、日本を一層右傾化へ導いており、先人たちが長年かけて築き上げた政治的遺産が徐々に失われつつある。中日関係を支えてきた脆弱な友好の基盤も、大きな試練に直面している。

私たちが河野氏を追悼するのは、その功績を振り返るためだけではない。なお良識を保っている日本の政治家や国民に対し、歴史と平和の重要性を改めて問いかけるためでもある。中日の先人たちが多大な努力によって築いてきた平和と友好の成果を、現代の右翼・保守派政治家による政治的思惑によって失わせてはならない。

「洋平」が去った今、太平洋の平和はこれからも守られるのだろうか。その答えは、戦争の過ちを繰り返すことを拒み、平和を守ろうとする日本人一人ひとりと、日本の近隣諸国の国民の手にゆだねられている。(CMG日本語部論説員)

06-15 18:21

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