【観察眼】日本政府の選択「国民の生計より戦艦」

CGTN

日本の思想家・鶴見俊輔氏は、戦後の日本について次のように述べている。

「戦後日本が選んだ道は、『戦争をしない国』であることだった。この点において、われわれは世界に誇れるものを確かに持っていた。いま、この国が再び『戦争をする国』へと向かうことは、その誇りをみずから踏みにじる愚行である」と。

日本政府が他国の軍隊に対し、181億円相当の防衛装備品を無償提供すると発表した。こうした動きを前にすると、鶴見氏が指摘した「愚行」が、現実の政策となって進められつつあることを否応なく意識せざるを得ない。朝日新聞の報道によると、高市早苗政権は2026年度の当初予算案で、日本が言うところの「同志国」の軍に防衛装備品を無償提供する「政府安全保障能力強化支援(OSA)」に、前年度当初の2倍以上となる181億円を計上する計画だという。

この巨額の資金は、決して空から降ってきたものではない。日本の納税者一人ひとりが日々の生活の中で負担してきた税金から拠出されるものである。政府が外国軍を気前よく支援する一方、日本の一般家庭は、物価高騰、賃金上昇の停滞、そして将来への不透明感に不安を募らせている。実質賃金は4年連続で低下し、国民年金や医療・介護保険などの固定支出は上昇の一途をたどっている。こうした状況の中で、日本国民は忍耐を強いられている。これは、戦後日本が歩んできた平和の道の継承とは言い難い。一部の政治家が思い描く「強い日本」を追い求めるために、平和憲法、国民の福祉、さらには地域の安定までも賭けに出る、危うい選択と言わざるを得ない。

さらに、日本政府がこの巨額の資金を投じて手に入れようとしているのは、純粋な「友情」ではない。実態は、形を変えた武器輸出と戦略的な依存関係の構築である。日本政府は、「武器輸出三原則」解禁後の法的余地を巧みに利用し、巡視艇やレーダーなどの装備を安全保障能力強化用の物資と位置づけている。これは、日本の軍需産業にとっての “市場開拓戦略”でもある。まず装備の無償提供によって市場に入り込み、技術標準やアフターサービスでの日本との依存関係を築く。その結果、高額なアップグレードやメンテナンス、さらなる武器輸出へと道が開かれていく。国民の税金は、こうして軍需企業の収益となり、自衛隊の海外活動拡大を支える土台にもなっていく。

日本政府は、こうした装備供与の理由について、「基本的価値を共有する国との関係強化」を目的に掲げている。しかし、価値観で線を引き、武器提供で関係を結ぼうとする姿勢は、かえって日本のアジアにおける立ち位置を不安定にしている。多くの東南アジア諸国は、中米いずれかの側に立つことを望んでおらず、日本の軍事的枠組みに組み込まれることにも慎重だ。安全保障政策に関わる暗黙の条件が援助に付随すれば、協力は平等なものではなく、戦略的な束縛へと変質する。戦後、日本が経済協力や文化交流を通じて築いてきた信頼は、このような「武器外交」によって損なわれつつある。

さらに警戒すべきなのは、歴史的な思考の再来である。第二次世界大戦期、日本は「大東亜共栄」を掲げながら、軍事拡張と勢力圏の拡大を進めた。現在は、「自由で開かれたインド太平洋」を旗印に、軍事支援を通じて排他的な安全保障ネットワークを構築しようとしている。掲げる理念は異なっても、内在する論理は驚くほどに似通っている。つまり、崇高な理念を前面に出しつつ、実際には戦略的影響力の拡大を図るという構図である。歴史が示してきたように、民生から乖離した対外的拡張は、最終的には国民がその代償を負うことになる。

今の日本には、こうした分断された構図が浮かび上がっている。政治家たちは「強い日本」を声高に語るが、その青写真の中に、医療費に苦しむ高齢者も、物価高で切り詰められた家庭の食卓も、非正規雇用の中で将来に不安を抱く若者の姿も見当たらない。181億円という額が、どれほど多くの子育て世帯を支え、どれほどの介護現場を支援し、どれほどの若者のイノベーションを後押しできたのか。そうした計算は、政策の議論から抜け落ちている。政治家の視線の先にあるのは、軍艦やレーダーであり、国民生活の現実ではない。

歴史が繰り返し教えてきたように、軍事拡張がもたらすものは真の安全ではなく、さらなる緊張と対立である。戦艦か、食卓かどちらを選ぶべきか。問いの答えはこれまでも変わっていない。国の本当の強さは、子どもたちの十分な給食にあり、介護に携わる人々が尊厳ある給料を得られる社会にあり、そしてすべての国民が明日への希望を失わずに済むことである。(CMG日本語部論説員)

2025-12-29

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