シャンシャンの家:パンダへの想いを守る——第2章(連載中)

シャンシャンの家「香香之家」

「シャンシャンは、まるで私たちの子どものような存在」

日本には、七福のような熱心なパンダファンが他にもたくさんいる。パンダに関心のある人なら、おそらく高氏貴博の名前を聞いたことがあるだろう。彼は2011年から十数年もの間、休園日の月曜日を除き、毎朝欠かさず上野動物園に通い、パンダを撮影し続けてきた。雨の日も風の日も関係なく、開園時間の9時半よりも2時間早く並び、待っている間に本業の仕事をこなすのが日課だった。彼が撮影した何百万枚もの写真の中で、最も多く写っているのはシャンシャンである。

 日本において、シャンシャンはパンダ界の“トップスター”だ。彼女は2017年に生まれ、日本のパンダファンにとって、かけがえのない存在となった。それは、彼女が上野動物園で初めて自然繁殖によって誕生し、無事に成長したパンダだからだけではない。彼女が生まれるまでの道のりが、あまりにも長く、そして特別だったからだ。

シャンシャンの両親である比力(リーリー)と仙女(シンシン)は、2011年に中国・四川省から上野動物園にやってきた。ふたりの愛らしい姿は日本中の人々に愛され、やがて「ぜひ赤ちゃんを!」という期待が高まった。2012年、仙女は初めて出産。しかし、残念ながら赤ちゃんは生後1週間も経たずに亡くなってしまった。その後、ほぼ毎年のように「仙女が妊娠か?」というニュースが流れ、そのたびに日本中が一喜一憂した。

そして、長い5年の時を経て、ようやく誕生したのがシャンシャンだった。無事に生まれ、すくすく育つその姿に、日本中が歓喜した。ニュースは連日トップで報道され、街中やバス、ショッピングモールには「パンダの赤ちゃん誕生!」を祝う横断幕が掲げられた。「シャンシャン」という名前は上野動物園が一般公募を行い、わずか半月で32万通もの応募が殺到し、歴史的な記録を打ち立てた。「私たちにとって、シャンシャンはまるで自分の子どものような存在なんです。」高氏貴博は、自著『パンダ シャンシャン』のインタビューでそう語っている。しかし、どれだけ愛されても、シャンシャンはずっと日本にいることはできなかった。1980年に中国が「ワシントン条約」に加盟して以来、海外で暮らすジャイアントパンダや、その地で生まれた子どもたちは、一定の年齢になると中国へ戻る決まりになっている。本来、シャンシャンも2020年に中国返還予定だったが、世界的な新型コロナウイルスの影響で何度も延期され、そしてついに2023年2月、日本の人々は避けられない別れを迎えることになった。

「2018年から毎週シャンシャンに会いに行って、彼女が少しずつ大きくなるのを見守ってきました。彼女が見せる可愛い仕草も全部覚えています。日本を旅立つ前の1カ月間は、会社に休みをもらって、週に4~5日は上野に通いました。」七福は、山のように積まれたパンダグッズの間に座り、1年前の記憶を振り返る。「シャンシャンが旅立つその日、やっぱり涙が止まりませんでした。」

2025-03-14

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