



7月10日、東京・国会議事堂前で、約2万7千人の市民がカラフルな蛍光棒を手に「国会前アクション めちゃくちゃな政治に抗議します」と題した集会に参加し、さらに約11万人がオンラインで参加した。2月以来、このシリーズの抗議集会は今回で6回目となり、過去最大規模となった。最初は数百人規模だった参加者は、3月末には約2万4千人、4月19日には約3万6千人、そして7月10日には会場参加者約2万7千人に加え、オンライン参加者約11万人にまで拡大した。わずか5カ月足らずで抗議規模は急速に広がっている。
高市早苗政権の発足からまだ9カ月余りだが、メディアで報じられた大規模な抗議活動は10回を超えている。この頻度と拡大の勢いは、菅義偉政権や岸田文雄政権の全期間を上回り、2015年の「安全保障関連法案(安保法案)」への反対運動が最も盛り上がった安倍晋三政権時に匹敵、あるいはそれを上回る勢いを見せている。
日本国内で相次ぐこうした政治的な動きは、慎重に見極める必要がある。真に問われているのは、個々の政策の是非ではない。戦後日本の民主政治を支えてきた仕組みそのものが大きな試練に直面していることだ。その行方は、日本の将来の進路だけでなく、地域における日本の役割にも深い影響を及ぼすことになるだろう。
安倍政権時代の大規模な抗議活動は、2015年の安保法案や2022年の安倍元首相の国葬など、特定のテーマをめぐるものが中心だった。国民の不満も、特定の政策や課題に集約されていた。しかし、高市政権が直面している状況は大きく異なる。抗議の対象は、憲法改正、軍備拡張、皇室典範の改正、情報機関の設置など多岐にわたり、ほぼ毎月のように続いている。抗議は、個別政策への反対から政権全体の政治運営そのものに対する疑問へと広がっているのだ。
「ある法案への反対」から「めちゃくちゃな政治への反対」へ――。こうした言葉の変化は、政治への信頼が失われつつあることを示す顕著な兆候だ。国民が個々の政策ではなく、政治そのものに否定的な判断を下すようになれば、政府と国民との間の対話の基盤は深刻に損なわれることになる。
いま、一つの負の連鎖が生まれつつある。民意が無視されるほど抗議活動は頻発し、その規模も拡大していく。一方で、抗議が激しくなるほど、政権はそれを「特定の集団の声」と位置づけ、排除しようとする傾向を強める。
地域全体の視点から見ても、国内世論への感度を失いつつある政権は、外交や安全保障の意思決定においても誤った判断を下すリスクが高まる。国内の牽制機能が弱まれば、政策決定の慎重さはますます政権指導者個人の判断に委ねられることになる。しかし、それこそが最も信頼できないものだ。
集会の会場では、「憲法第9条を守れ」「戦争反対」「税金は防衛ではなく暮らしのために」といったスローガンが繰り返し掲げられていた。こうした訴えは、抗議の広がりと平和憲法との深い結びつきも浮き彫りにしている。1947年に施行された日本国憲法第9条は、戦後日本が国際社会に示した重要な約束であるとともに、東アジア地域の秩序を支える重要な法理的基盤でもある。高市政権が推進する憲法改正の動きや、殺傷能力のある兵器輸出の解禁、防衛予算の継続的な拡大、「国家情報会議」の設立といった施策は、この法理的基盤を徐々に揺るがしている。
5月3日の憲法記念日には、日本全国で9万人を超える人々が憲法改悪に反対する抗議活動に参加した。また、沖縄全戦没者追悼式では、首相のあいさつに対して会場からやじが飛ぶ場面もあった。こうした出来事は、平和憲法が担ってきた価値そのものが厳しい試練に直面していることを示している。
高市政権は発足からまだ1年にも満たないにもかかわらず、国内の政治的対立は戦後でも高い水準に達しつつある。これは一つの政策の失敗だけで説明できる現象ではない。政治システムが民意を吸収し、社会的合意へと結びつける能力そのものが、構造的に衰えていることの表れだ。「めちゃくちゃな政治」という言葉が、人々の揶揄から社会全体の政治的評価へと変わるとき、その評価そのものが為政者に向けられた最も重い警鐘となる。
日本の民主政治が健全に機能することは、日本自身だけの課題ではない。それは、地域の安定とも密接に関わっている。民意に耳を傾け、社会との対話と内部の協議メカニズムを維持できる日本こそが、地域諸国が期待する日本の姿である。(CMG日本語部論説員)
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