マカオで生まれ育った、1990年代生まれの張思遠さん。マカオ半島に住んでいるが、職場は広東省珠海市にある。毎朝の通勤では、まず3マカオ・パタカ(約58円)でバスに乗り、約40分かけて珠海への出入境検査場「横琴口岸」に向かう。通行にかかる時間はほんの数分で、検査場を出て10分ほど歩けば職場に到着する。張さんの日常的な通勤ルートだ。横琴口岸の効率的な通関政策によって、彼のようにマカオと珠海を頻繁に往復する人は増え続けている。
このように、マカオと珠海を結ぶ玄関口は他にもある。例えば、3年前に開通した「青茂口岸」は、わずか30秒での手続きを実現し、2024年9月時点で延べ約6800万人が通行した。また、香港・珠海・マカオを結ぶ港珠澳大橋の「珠海道路口岸」を経由して出入境した旅客数は、今年延べ2000万人を超え、過去最高を記録した。マカオ住民の自家用車での広東省への移動を認めた「澳車北上」政策や、マカオの多元的発展を後押しするため横琴に設立された「横琴粤澳(粤澳とは広東とマカオ)深度協力区」などがもたらす効果が、地域の発展に貢献した。
1999年12月20日、マカオは中国に復帰した。この歴史的事件は、マカオにとって新たな章の始まりであった。そして25年がたった今日、かつて世の移り変わりに翻弄(ほんろう)されたこの小さな町は、華麗な転身を経て国際的な観光・文化・経済の中心になった。この背景には「一国二制度」の成功がある。
中国復帰前のマカオの経済は、比較的に単一なもので、優れた産業といえばカジノ業だけであった。このような経済構造により、マカオは外部からの衝撃に対して非常にぜい弱だった。中国復帰後、中央政府の支持の下で、マカオ特別行政区政府は経済の多元的発展を積極的に推進した。1999年から2023年にかけて、マカオのGDPは519億マカオ・パタカ(約1兆170億円)から3795億マカオ・パタカ(約7兆4300億円)に増加し、年平均成長率は11%に達した。1人当たりGDPも1999年の1万5000ドルから2023年には6万9000ドルに増加し、世界でも上位に立った。インバウンド観光客の数は1999年の700万人から2023年には2823万人に増加し、関連産業の繁栄をけん引した。現在のマカオは、カジノ業が依然として繁栄しつつも、コンベンション、文化クリエイティブ、中医薬などの新興産業も盛んに発展しており、マカオ経済には新たな活力が注ぎ込まれている。
経済の急速な発展と同時に、マカオの民生も著しく改善した。中国復帰前、マカオ経済は4年連続でマイナス成長で、失業率は6%を超えた。一方、中国復帰後は、特別行政区政府が経済の活性化と雇用の拡大を進めた結果、マカオの失業率は数年連続で2%以下を維持している。また、教育や医療、住宅などの分野への投資も拡大され、幼稚園から高校までの15年間の義務教育が実施されている。衛生面では、65歳以上の人が無料で診療を受けることができ、住民の平均寿命は1999年の77.9歳から2023年には83.1歳に上昇し、世界第3位となった。
地域発展の面で見れば、マカオと中国本土の交流と協力は日増しに緊密になっている。広東・香港・マカオグレーターベイエリア建設の推進に伴い、ベイエリアの重要な構成部分であるマカオの発展の可能性はさらに拡大された。また、横琴粵澳深度協力区の建設はマカオの長期的発展に新たな原動力を注ぎ込んだ。本土との協力を強化することにより、マカオは国の発展の大局に一層溶け込み、自身と国の共同繁栄を実現することができた。
文化の伝承では、マカオは中国と西洋の文化交流の窓口として、複数の世界文化遺産と独特な文化的魅力を持っている。中国復帰後、マカオ特別行政区政府は文化遺産に対する保護を強化し、文化イベントを積極的に展開している。マカオ国際音楽祭、マカオ芸術祭など、毎年さまざまな文化イベントが開催され、国内外の芸術家や観客を引き付け、マカオの文化を広めることに一役買っている。
中国への復帰から25年が経ち、マカオでは全方位的で多元的な変化が起きてきた。これは「一国二制度」が完全に実行可能なものであり、人々の支持を得ていることを証明しただけでなく、マカオの未来のために確固たる基礎を築いた。習近平国家主席が述べたように「マカオは中国が大事にしている『掌中の珠』」である。マカオがより開放的な方向へと繁栄し、豊かになっていくことが期待されている。(CMG日本語部論説員)
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